ドン・キホーテが苦手になった日

お疲れ様です。僕は吉本興業株式会社で芸人やらせていただいてます。くらげ渡辺というものです。


今回はnoteに手を出してみました。先輩や同期がnoteを始め、普通に購入して「いやぁおもしろかったなぁ」と思うばかり、特に先輩のnoteを購入し「為になったな。まじで。」と先輩のネタに関する重要な考えなどをメモったりしたんです。noteをノートに書いてました。


ただ僕は芸人としても、漫才師としても未熟も未熟。なので自身の芸人論、漫才論など求められるわけもなく。


なので、わたくし、くらげ渡辺の今まで生きてきた(31年)の歴史のなかで情けなかった話を聞いてほしく、noteを始めました。よろしくお願いいたします。


初回はドン・キホーテが苦手になった日です。




当時20歳ほどのくそほど若造。まだドン・キホーテがドンキ・ホーテだと思っていた、地元でちょっと面白いと思われていて友人の結婚式で漫才もどきのようなことをして、地元静岡県菊川市旧小笠町という、狭い範囲で無双していた気になっていた、そしてM-1GP2008の予選にアマチュアで出場し、当時渋谷電力館、現在シダックスカルチャーホールでネタを飛ばし、まるで笑いをとれず泣きながら静岡に帰り、親にはまぁまぁウケたわ。とウソをついた、11年後もまだM-1GPに多少は関わっているとは思ってもいない恥ずかしい時代の話です。





「女の子二人とドンキいかない?」

と当時auの折り畳み携帯にメールが入り、すぐに

「行く、行く!」

と返信して家でそわそわし、友達が迎えにきてくれた車に乗り込んだ。友達はデカイ車で迎えに来てくれた。すでに男が一人乗っていて僕を含めすでに三人。これに女の子が二人合流するという流れだった。


男三人に、女の子が二人、これを忘れないでほしい。

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