無題

お疲れ様です。くらげ、渡辺です。

ここ最近noteを書かせていただきました。

それは自分自身の芸人人生を振り返ったということでもありました。

「やめていった同期の話」では本当にしょうもないな、コイツ!!と自分自身思いました。また周りの人間に恵まれてるなと思い、感謝の気持ちを改めて持とうと認識しました。


「元カノの話」では、当時住んでたアパートの情景や元カノの声や仕草などを思い出し、ノスタルジックな気持ちになりました。また当時の彼女が吸ってたタバコの銘柄が「ぺシェ」から現在は「ペティル」に名前変わってんだよなぁ。とか思いました。


「ドン・キホーテが苦手になった日」では、自分で書きながら「あぁ、こんなことあったなぁ。」と思い出しながら地元の友人を懐かしむような気持ちになりました。


今僕は「くらげ」というコンビで「わかんねぇけど」とか言いながら女性の気持ちを言う、みたいなネタをやらせていただいてます。二人でネタを作ってます。

見たこと無い方はYouTubeでお調べください。くらげのネタをアップしてくれている物好きな方がいます。

「女心」のネタの作り方としては、相方の杉と一緒に「ここがわからないよなぁ」という質問を考え、主に僕が答えを考える。というような感じです。そして杉が、これは芯喰ってるね!これは越えてるよ!というふうに審査してもらって作ったりしてます。※杉と一緒に答えを考えることも全然あります。

僕はTwitterのDMなどで、恋愛相談などをされることもあるんですが、全て答えさせていただいてます。

よくなんでそんなに気持ちがわかるんですか?とDMをいただくことがあります。個人的にはわかってる、という実感はありません。本当に全部わかんねぇなりにです。

でもみなさんからの反応が有るということは、それなりに芯を喰うことは言えているんだろうなぁとも思います。

理由は二つあります。

一つは

現代文(国語)が得意だということです。

小学生の時は国語、高校からは現代文がずっと得意でした。特に、「この部分の作者の気持ちを述べよ。」という問題では一回も間違えたことはないと思います。

大学の入学したあとの実力テストでは、数学、英語では下から数えたほうが早かったのですが、現代文では大学同期400人中、3番目でした。漢字の書き間違えというケアレスミスが二回あっただけでした。

その要因には、子供のころから本を読むのが好きだったというのがあると思います。

作者の気持ちを述べよ、という問題が理解できる人間は、色々なことをわかることも容易だと思います。


二つ目の理由としては

自分がネガティブ人間だからです。

僕は自分がめちゃくちゃ嫌いです。顔も声も嫌いです。性格も嫌いです。優柔不断で、メニュー選びも苦手、だからメニュー数が少ないお店が好きです。

でもネガティブな人間がいたら、その場では申し訳ないのでポジティブな人間でいます。

ただネガティブがゆえの考え方から、良い方向?なのかはわかりませんが、変化することあると思います。

例をあげると、僕は芸歴9年目なんですが先輩とご飯に行ったことが4回しかありません。「しか」というのが正しい表現であるかはわかりませんが、芸歴1年目に2回、今年2回です。恐ろしく少ないです。でもその分「後輩を連れていこう」という人間になりました。

先輩と仕事一緒になった時、僕はすぐに帰ります。「なに?こいつご飯誘ってもらおうとしてるじゃん」と思われたら辛いし、気をつかって「ご飯行こう!」と言われるのは一番きついです。そもそも僕に魅力が無いから、というのが正しいですが。だからすぐに帰るのが無難になりました。そして、後輩をご飯に誘う時は、ライブが終わる前に誘おうと思うようになりました。


TwitterでDMやリプライを頂いたら全て返してます。僕は先輩にリプライやDMをめちゃくちゃドキドキしながら送信してます。先輩がTwitterで「いいね」してくれた時に「いいね!ありがとうございます!」と送信する時「くらげ渡辺、こんな文章送ってきてめんどくせぇな」と思われるかな、「そもそもいいね、間違えて押したんじゃない?メッセージ送るのやめときなよ。」と思います。考えてしまいます。それくらいのハードルを越えて「よし!!」という気持ちで送信してます。

だからリプライやDMをくれるのは本当にありがたいです。だから全部返す人間になりました。

漫才は、必ずミスするんだろうなぁ、噛むのかな、すべるんだろうな、と最悪なイメージしかないです。だからおかしくなるほど練習するようになりました。わかんねぇけど「女心」のネタは、覚えてないくらい一人で喋ったりしました。

芸人を志したのも、人を喜ばせるような人間になり、嫌いな自分を好きになりたい、という気持ちからです。売れて金持ちになりたい、チヤホヤされたいという気持ちもあります。でもそんなもの「面白かった!」と笑顔で言われた時には忘れてしまいます。その時だけ僕は自分が好きになれます。女性にモテたいも無いです。自分がモテてもその自分が気持ち悪いんだから見てられないです。だから周りから性格だけは男前と言われるようになろう、納得させれるような内面になろう、と思うようになりました。

ネガティブな人間の方が自分の気持ちと向き合える機会が多い、と考えます。「これ言ったらこうなるか?でも逆に気を使わせてしまうかな?どっちの方が正解かな?じゃあ、何も言わないのが無難かな?。」というふうに、1つのことで何通りも考えてしまいます。ネガティブがゆえに。

「人の気持ちを汲む」ということも、ネガティブという一般的にはマイナス要素とされているものにより、出来る、もしくは出来るように努力する、という方向になることもあると思います。

ポジティブでなおかつ自分と向き合える、そして「人の気持ちを汲む」が出来る人が最強だとは思いますが、そんな人間ばかりではないと思います。


結果、僕は「ネガティブで良かったな」と思うようになりました。

これからも根はネガティブ、「だからこそポジティブに見せなきゃな!!」の考え方で生きていきます。

今回のnoteはなんの脈絡も無いです。

最近SNS等でほんの少しだけ褒められたことがあったので、戒めとして自分の人間の根となるものを懺悔させていただきました。了。



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