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怒りのアウトソーシングによるザッピングは避けましょうというお話

こんばんは。くらげです。

12月は師走とは言いますが、現代では誰もが師であり弟子でもあるので、みんな猛スピードで走り抜いていると思われますが、お疲れさまです。事故には気をつけましょう。

私も何かと仕事や執筆でてんてこ舞いになっていて、焦燥感やらなにやらで精神的なバランスがあまりよろしくなく、前のめりになってつま先だけでケンケンしつつ進んでいるような、そんな状態です。

そういう時期になると、まとまった時間をとってリフレッシュするのも難しくなり、「安易な娯楽」に走りがちになります。そして、この安易な娯楽というのはたいてい生産性どころかむしろ魂の堕落を生むこともあるものです。

私の場合は詳細を書くと色々角が立つので書きませんが「なんとなく嫌な人や問題が匿名のアカウントに叩かれている」ことを黙々と読んでしまうという悪癖がそれに該当しますね。

他人の悪意や怒りにフリーライドして自分のストレスを解消するというのはとてつもなく卑劣で性格が悪く、自分の嫌いな一面ではあるのですが、気がつくと「アレ、どうなったんだっけ」と調べては、叩かれているのを見て妙な安堵をする、ということが結構あるので度し難い間抜けですね。

現代社会は「アウトソーシング」が進んでいますが、「怒りのアウトソーシング」みたいなものもあって、「自分が表立って言えないことに対して怒ってくれる誰か」が起こっていたり叩いたりしているのをみてストレス解消をするってのは自覚的にせよ無自覚にせよ誰にでもあると思うんですよ。

でもこれって、一時はすっきりするけども、根本的に解決になるわけでもないし、どういうわけかむしろよどみが胸に溜まっていく気もするんですよね。なにか自分がアクションするわけではないから。声を上げることさえしてないですからね。怒りすら誰かに委託するというのはどうも健全ではないし、逆に何もしていないのに「怒りに飲み込まれる」ことでもあるのだろうな、と。

怒るならせめて自分の声で。自分の声で怒ることができないなら、「そのこと」から一度離れてしまう、というのも一つの精神の健全さを保つ手段かなと。

まぁ、それが難しいのは重々承知ですし、私も「怒りのアウトソーシング」は癖になっているのであれなんですが、まぁ、目標としてがんばります。

さて、このくらいで。皆様、怒りのザッピングを避けつつ踏ん張りましょう。では。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。