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即興コラム:嫌なことと向き合うこと。もしくは己の抱える地獄について。


スランプである。ツイッターではかなり好調でいろいろ飛ばしているように見える私だけど、表に出ていない諸々ではいろいろうまく行っていないことも多くて、リアルの私は少々参っている。

あと、生活…というか、妻の体調がかなりよろしくなく、冗談でなく1日1回は死にかけている。明日、起きたら転んでトイレに首を突っ込んで窒息死していてももう驚かないくらいにいろいろ起きている。福祉的な支援や医療の相談はあるけども、精神的にあまり穏やかにはなれない。

そういう中にあっていろいろ「きれいなこと」をツイッターやnoteに書きつらているけども、これはこれで一種の逃避である自覚はあって、結局はリアルの嫌なところを一つ一つ潰していくしか無いのが偽りのないところの人生だ。

今、一番心に刺さっているのは、あるプロジェクトで障害をからかうような発言をされたことだ。

あとで「くらげさんの本音を引き出すためだ」と謝罪されたけど、この瞬間を思い出すだけでその発言者を八つ裂きにしたくなるくらいのどす黒い衝動が湧き上がってくる。

こういう破壊的な衝動を抑えられないのもあれば、妻の病気に対する諦め、やる気がでなくて進まない原稿、なのに安請け合いしてたまっていくタスク…ともう自分の弱さのオンパレードだ。

正直、こんな「自分の弱さ」を考えるくらいなら、社会問題について批評していたほうが無責任で偉そうなことをいくらでも吐き出せるからよほど良いんだけども、仕事や生活とは誰かに責任転嫁を出来ないからひたすら自分の弱さと付き合っていくしか無いのだ。

この「弱さ」をどうするかと、という特効薬は残念ながら無くて、時間をかけて乗り越えていくか、諦めて忘れるか、それとも破滅するか、だ。

ただ、「嫌なこと」は言葉にしなければならない。言葉にするって、私にとって「捉えられる形」にすることだ。脳内に漂う幽霊に形を与えて成仏できる形にする作業だ。だから、怖がるにしろなににしろ、まずは今抱えている嫌なことを言葉にするしかない。f

世界を変えるより、私の中の「嫌なこと」を言葉にするほうがよほど難しい。そういう矛盾を抱えて、無責任な所で世界は回っていくんだろう。まったく、自分の地獄は自分が抱えているのだ。だけど、その地獄の鬼もまた自分なのだ。

というわけで、亡者でもあり鬼でもある自分を言葉で形にして、蜘蛛の糸を垂らす。そういう作業に向かおうと思う。

まあ、駄目なら駄目で死ぬだけだ。気楽にやっていきましょう。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。