推しの配信サービスが終了するってよ日記

今日、日頃から応援しているアーティスト(以下、「推し」と呼ぶ)がnoteの有料版サービスの配信停止を発表した。今月、12月を一つの区切りとして終了するらしい。再開の目処は立っていない。

仕事終わりにこのニュースを発見した。

TwitterのTL欄は同じ推しを応援するファン達の阿鼻叫喚の叫びで包まれている。

私はというと、残念、寂しくなるな、と思った程度で顔に出さず帰途に就いた。

冬の多摩川沿いを自転車で帰る。いつもなら骨伝導イヤホンを付けて推しの曲を聴きながら帰るのだが、今日はバッテリーの残量を読み違えたので生憎と無音の帰り道だ。

ひんやり冷たい空気が顔と脛を刺す。自転車道の真ん中をタヌキがこちらにも臆せずに我が物顔で闊歩する。ビルの窓に写って2個になるちょうど半分の月。

川沿いの冬の景色が見えては流れて、その間に推しのことを考える。

非常に残念だし悲しいが、特に泣いたりしない。


上質な夜だな、と思った。


推しはおそらく寿命がもう長くない。

脳関係の、結構な大病を患っていることを公表している。

これまでも推しに死が近付いているような素振りは何度もあった。

毎日続けていたTwitterの頻度が落ちたりとか、急に断捨離を始めたりとか、病気の影響で昼に歩くと立ちくらみがすると明かしたりとか、残りの人生でやりたいことリストを書き出したりとか、もうすぐ終了する配信サービスでも今までの人生を振り返ってまとめるようなコーナーがあったりとか。

薄々勘づいてはいたが、今回のサービス終了で自分にとってはそれが確信に近いものへと変わってしまった。

川沿いを走りながら、これから推しが死ぬまでにファンとして何をするべきだろう、何がしたいのかを考える。

二次元やら歴史ヲタクだった私は今まで同じ次元で且つ同じ時間を生きている推しというものに巡り会ってこなかったので、生身の推しへの接し方が分からないが、色々考えてみる。

まずは推しの絵を描きたい。推しが生きてるうちに推しの御用達の店に行ってみたい。質問コーナーに投稿するのもいいな。

今までの人生で大きな出来事があった時はその時を克明に覚えていたりするものだが、今回も例に漏れず、寒空の下で推しの死について考えた夜を私は忘れないだろう。

そういう意味で上質な夜を過ごせたと胸を張って言える。

そしてとうとう推しが亡くなった時、私は今夜以上に上質な夜を過ごすのだろう。



出来ればそんなのあと30年くらいは無くていいんだけど。