弱いか強いか

私の父は私が29歳のときに他界した。心筋梗塞。急逝だった。でも、私はお父さん子で、いつも父といたから満足だった。やり残したと感じたことはなかった。逆に母は、見栄っ張りで私とは反りが合わなかった。そんな母も80を越え、少しだけ弱くなった。ある時ふと、思った。私がお父さん子で母との時間がなかったから母との時間を作るように父は消えたのかな⁉️って。家は家業があって会社兼自宅で、両親共経営者だったから小さい頃から両親いないのは普通だった。兄弟も年が離れていたから、私の親友は、飼い猫のシャム猫のメスのまろんだった。高いところに乗せてちょっと意地悪しちゃってみたり、私の奏でるピアノを喜んで一緒に弾いてくれたり。ホントの姉妹の様だった。まろんは、ある日、父と兄が購入してきた。3マンだったらしい。自宅大きかったから、まろんは近隣住宅にもよく遊びに行っていた。そしてある日、いなくなった。心配で心配で。よくある、電柱に張り紙もした。数日たったある日、突然帰ってきた。夢かと思うくらい嬉しかった。私は、そして、直近まで受けないって思っていた国立大学を、受験することになった。まさかの1次突破。そして二次試験。小論文、何かにこだわって書けと言う課題。
私は特定の趣味もないし、諦めて、窓の外を眺めたり、寝たり。
ふと、書けるかも!書き出したのは飼い猫の定義。まろんは誰にも甘えて優しくて。でも、当時、母の実家で飼っていたペルシャ猫、人をみると怖いのか逃げて触ることもままならず。
その対比を書いて、飼い猫はまろんの様でないといけないとしめくくった。結果合格。まろんが合格もたらしてくれた。
そんな私は、色々あり。旦那と結婚2006年にした。旦那は子犬で飼い始めた紀州犬、すでに老犬になってはいたが飼っていた。私は生涯で一度だけ妊娠したのが結婚して1年後くらい。高齢出産の域ではあったが、8週でいきなり流産した。そしてすぐに帰省した。旦那の実家では、末弟家族と会ったが、その時、末弟家族の産まれたばかりの長女がベビーカーに乗せられていて、外で、昼間の明るい日差しを浴びていて正直に、羨ましくて辛かった。
そんな時に毎週末のように行っていたホームセンターの看板鳥だったのが青ちゃん。
ルリコンゴウインコ。辛くて悲しい私の心を癒やしてくれていた。
思いきって、私は旦那に家に迎えたいってはなした。
イイヨと言ってくれて私は青ちゃんが自分の子供の代わりになった。
そして、だんなが、今度はオオバタン良いなぁって言って、でも、お金は出してくれなくて、でも私が支払いして迎えたのがおおちゃん。
それからは、里親になったり、色々あって、たくさんの鳥たちをみてきて、鳥友もできた。
旦那は基本あまり外に、出かけないタイプだったから、ある日、旦那の以前の職場の社長さんがゴルフに、誘った。
そこから、運命が狂い出した。ある日、社長さんが誘ったコンペの前日、トイレに夜中に起きた旦那は、いきらなり殴りかかってきた。寝言うるさいって。
以来旦那は変わった。完全なモラハラDV男に。
私はもう限界に。生きていたくない。ありがとう。さようなら。


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