穴子天弁当を手に霊岸島を一周してみたら | 東京都中央区新川
◇ 中央区新川って霊岸島だったの?!
仕事で中央区新川という所に行くことになった。最寄り駅は地下鉄茅場町駅。ずっと昔に一度だけ降りたことがあるけれど、どんな街だったか記憶にない。
知らない街に行く時はまず地図でチェックする。どんな土地なのか、人気スポットとか、名所史跡的なものとか、美味しい食べ物はあるかなど…。
早速調べたら私が向かう場所一帯は「霊岸島」となっている。
えっ、「霊岸島⁉」
それってもしかして武蔵と小次郎が決闘した場所⁉
いやいや、違う。それは「巌流島」だ。そもそも「巌流島」は山口県だし。相変わらずの勘違いだ。
霊岸島は江戸時代に隅田川の河口にある中洲を埋め立てられてできた「島」だそう。隅田川と日本橋川、亀島川という川に囲まれている。周囲約2キロといったところか。
用事が済んだら「島」を一周してみようと思った。ここなら一時間かからずに「島一周の旅」ができてしまう! 途中には気持ちのよさそうな隅田川テラスもある。ついでにお弁当も買って、そこでお昼ご飯にしよう♪
◇ 0mの基準だった霊岸島水位観測所
一ヶ所、どうしても寄りたい場所があった。
「霊岸島水位観測所」だ。
色々調べているうちに思いだしたのだ。学生時代、測量学の講義で聞いたことがあった。当時、井上ひさしの『四千万歩の男』(伊能忠敬を主人公とした物語)を読んで、測量のことに興味を持ち測量学の講義を選択していた(理系ではないのだけれど)。
実習では、大学の近くの公園で平板測量という方法で地図を作った。アリダード(その名前ももう忘れていた)という機器や巻き尺やポールを使って、何日もかけてちゃんと地図ができあがった時は嬉しかった。
高校時代から数学が苦手だったけれど、測量学のおかげで三角関数とは仲良しになれた。( 筆記試験の点数は相変わらず……だったけれど )
「標高」は東京湾の平均海面を基準( 0m)としている。明治時代になって近代測量が始まった時、霊岸島の水位観測所で 標高 0mが測定され、千代田区永田町に設置された「日本水準原点」まで水準測量を行い、そこが日本の土地の高さの基準として定められた。(現在の日本水準原点の高さは、24.3900mとされている)
霊岸島水位観測所は、高さの原点の「原点」というべき場所だ。当時の位置とは少し移動した所にモニュメント的な建造物として建てられていた。
ここが高さの始まり、地図のはじまりだったのか…。なんだか昔の自分に呼ばれてやってきたような気がした。
◇ 隅田川テラスで穴子天弁当
さてと、隅田川テラスで遅めのお昼ごはんにしよう。
霊岸橋近くの天ぷら屋「天勘」さんで穴子天弁当をお持ち帰り。ご飯がたっぷり詰まっていてずしりと重い。その上に大きな穴子天。今日は「あすけん」の摂取カロリーなど気にせず食べてしまおう ! 穴子は厚くて弾力もあって衣はふんわり。今まで食べた穴子のなかで一番美味しい !
隅田川を東京消防庁の船や遊覧船などさまざまな船が行き交う。それを眺めているだけでも楽しい。交通は陸だけじゃないんだなー。
潮が満ちてきて水位があがってきている。川面がザップザップと波立ち、護岸に打ちつける。人もあまりいなくて静かで、芝生でお昼寝してる人もいたりして。いいなぁ、穴場的な場所だと思う。
◇ 美しい橋に囲まれた霊岸島
今回の「島一周の旅」での一番大きな発見は、なんと言っても霊岸島が美しい橋に囲まれた島だということだ。
隅田川テラスの一角にある碑には、この地が水運の中心地だったことが記されていた。
隅田川の河口地域は江戸湊と呼ばれ、水運の中心地として栄えていたそうだ。その重要な場所であった霊岸島には、関東大震災の復興事業の一環として造られた永代橋や豊海橋、南高橋が架けられている。
私には橋の構造とか難しいことは何もわからないけれど、当時の技術の粋を集めて造られたということは想像できる。
永代橋のように重厚で隙のないガッチリとした橋や、南高橋のような繊細で美しい装飾が施された瀟洒な感じの橋など、それぞれの橋の個性が光っていてとてもおもしろい。
橋を造った人たちの復興への強い思いや情熱が伝わってくるようだった。