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No.123/病院に連れて行かない親たちに告ぐ(2024.05.02)

こんにちは、くのてつです。

母:「そんなことやっていたら怪我してもお母さんは病院連れて行かないからね!自分で行ってよね」

子:「え、嫌だ」

なんてシーンを見かけたことありませんか?

見かけたというよりやってしまったことありませんか?

自分はありますね・・・。

今日も朝からそんなシーンを目撃しながら、ふと最近見かけたとある記事を思い出しました。

親の接し方で子どもが凶悪犯罪を起こしてしまう、という主旨ですね。

「反省させると犯罪者になります/岡本茂樹・著(新潮新書)」という衝撃的なタイトルの本もありますが、親の在り方が子どもたちへ及ぼす影響は大きいと言わざるを得ません。
(※前述の著書はオススメの一冊で紹介したいと思います)

親の在り方も100人100通りですが、それでも原理原則を押さえておかなければ不幸が待っているのだと思います。

そこで「病院に連れて行かない親」について考えてみます。

叱っているのか?本当に・・・

前述のように子どもを叱る親御さんはどんな心境で叱っているのでしょうか。

子どもたちが憎くて叱りつけている親なんていません。

一部いらっしゃるとは思いつつ、そんな人は親に値しないと思います。

大切な子どもだからこそ、叱っている訳ですね。

でも冷静に考えてみて本当に叱る必要があったでしょうか。

もちろん怪我や命の危険がある行為は、その場で注意すべきですがそれが”叱る”や”怒る”である必要があるのか。

叱らない教育を推している訳ではありません。

一方で否定するつもりもありません。

これはケースバイケースだからです。

ただはっきりしているのは、「脅す」必要はないということ。

「病院に連れて行ってもらえない→やらないでおこう」にはならない訳です。

その点、まずは振り返ってみてもいいかもですね。

発展途上である訳で・・・

人間は感情の生き物だ、なんて言葉を耳にしますね。

だから感情的に反応してしまって、子どもたちを叱ってしまう・・・というのはある種仕方のないことかも知れません。

という訳にはいきません。

人間は感情を統御できる生き物だ、という捉え方もあります。

自分はこちらが正しい捉え方だと思っていますが、こうなると感情的に反応してしまう親は全員人間ではない、ということになります。

妖怪人間か・・・。

冗談はさておき、要は感情的になる、反応してはいけないということです。

反応する、ということは相手に動かされていることになります。

自分の主体を持たない受身的な在り方になっているということです。

そういう意味でも主体を持ち、自分で統御できるよ茹でなくてはなりません。

これには相当な自己研鑽が必要なので、学び続ける人にしかできないことなのだと思います。

つまり発展途上=成長中であることが望しい姿勢ですね。


と、軽々しく言っているようですが、相当な難度なのは理解しています。

それでも当たり前のように実践できる、そんな世界が実現することが理想です。

もっともっと精進せねば!


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