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No.108/指導に奥義なんてない(2024.04.17)

こんにちは、くのてつです。

今日は運動指導、スポーツ指導の分野におけるコア(=その分野の変態的存在)な方々と終日学び合う時間でした。

おそらく、現時点で日本トップレベルだと思います。(※自分はサービスで参加させてもらったラッキーな立場)

この後もまだ講義が続くのですが、現時点での学びを整理しておきたいと思います。

そもそも基礎を徹底できているのか

今回のテーマは「基礎の掘り下げ」というもので、抽象度が非常に高いものになります。

が、ここを徹底的に掘り下げるシーンは日常の中でそうそうないように感じます。

また「基礎」という言葉の裏側まで知ることなく、「基礎」を教えていたりする訳で・・・。

日常の中で違和感を感じていたことを言語化することができた、スッキリした、というのが感想です。

指導現場でも、指導者を養成する場でも共通するのは、基礎の徹底をある種誤った方向に誘導している、というのが実情だと感じました。

というのも、基礎の徹底における「基礎部分」が割と表面的だったりする訳です。

もちろん、指導を受ける側にとってはそれでいいと思います。

なぜなら、深ぼられたとて「何のこっちゃ?」になるからです。

一方、指導者側はどうでしょうか。

「何のこっちゃ?」となるから、そのレベルに合わせて本質的な理解が進むように伝えなくてはいけません。

ポイントになるのはこの「本質的な理解」だと思います。

この点を伝えるには、指導する側が「本質的な理解」を実践する必要があり、またカラダに染み込むレベルまで徹底しておく必要があります。

ただ、これって言葉で表現する程容易なものではなく、非常に難度の高いものではないか・・・と思うんですよね。

実際にこれができていない、というのが現実だと思います。

つまり、「基礎の徹底」と言いつつも表面的な暗記や理由も知らないまま実践することを強いる、または受け入れる環境になっている、ということです。

これは日本の公教育の仕組みが要因の1つだと思いますが、ここで掘り下げると長くなるので割愛します。

現時点では「本質的な基礎」の理解に至る環境は滅多にない、という状況であると理解しておく必要があると思います。

基礎とは何か

その現状を踏まえて、基礎とは何か?を考えます。

原理原則、普遍性、不変性、真理・・・など、いろんなイメージが湧きますが、自分が腹落ちしたのは次の表現です。

「理に適っている」

非常に深い言葉だと感じますが、この言葉もまた表面的な捉えられ方をしていうように感じます。

どう深いのか?と言えば、答えは明白で、

「理に適う」ことが必要なので、問いそれぞれに対して裏打ちされる何かがあり、その理解まで必要だ

という点でしょうか。

実に哲学的なのですが、これぞ本質だと思います。


この後の講義が迫っているので、現時点ではここまで。

また機会を作って今日の学びをアウトプットしたいと思います。




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