No.118/保護者が保護者であるために(2024.04.27)
こんにちは、くのてつです。
G.W.に突入しましたね。
暖かくなったし、各地で晴れ予報も出ているのでアクティブな過ごし方ができそうですね。
自分の記憶ではG.W.は練習試合三昧でした。
並びがいい時は合宿なんもありました。
そんな習い事などでのイベントごとが多い期間でもあり、大変な保護者の方もいらっしゃるでしょう。
習い事で保護者間のハレーションって必ずありますし、億劫な方も多い気がしますね。
今回はそんな保護者の在り方について、思考を整理していきます。
主役は保護者ではない
どんな習い事であれ、送迎やサポートをする保護者の存在はとても重要ですね。
それがなければ子どもたちも活動が十分にできないことにもなりかねません。
ただ、重要な存在だからと言って必要以上に口を出すことはどうなのでしょう…。
まあ個人的にはNGだと思っています。
前提として、主役は子どもたちです。
これを履き違えている親御さんが割と多いと経験上感じています。
あれこれ主張したりぶつかり合うシーンも見てきましたが、大抵その親御さんの自己満足や保身のための主張です。
子どもたちのために…を盾にして自分の主張をしている。
そんなシーンが往々にしてあるのが実態です。
保護者グループで発信してくれるのは助かるのだけど行き過ぎて困る。
いろいろお願いしている以上逆らえない。
そんな話をよく耳にしますから、いつもやれやれという気持ちになります。
子育てや教育観の話でもあるので、良い悪いの二項対立的な結論を出すのは違います。
何よりも子どもたちのため、という最上位の目標を受けて自分たち親はどう在るべきか…。
そこに誠実に向き合えば必然的にハレーションが起こる状況にはなり得ないと思います。
自分が主役ではない、とまずは認めることが必要ですね。
我が子が良ければいいのか
親御さんは誰でもご自身のお子さんが1番に決まってます。
それは当たり前であり、普遍的なことだと理解しています。
それでも我が子が良ければそれでいいのか?と問うべきだと思います。
というのも、子どもたちと接する際に、自分だけ良ければそれでいいよとアドバイスする親御さんっていらっしゃるでしょうか…。
いてもレアなケースで、基本的にそうはならないはずです。
なぜならば、自己満足、利己的であることは人との繋がりを断つ行為であると分かっているからです。
にも関わらず、自身のお子さんが絡むとそうでなくなってしまい、適正な判断ができなくなる訳です。
そんな親の背中が、子どもたちの可能性を広げるのか、内省すべきだと思います。
まあ、利己的になっている時点で内省をしないでしょうが。
保護者、親だからと言って完璧である必要はありません。
それでも真っ当なことを全うできる、それは大人であればできるはずです。
まずはそんな背中を見せることが大切なのではないか?
そう自問自答しながら、自分ができることを全うします!
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