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No.132/運動会は誰の何のためにあるのか

2024.05.11

こんにちは、くのてつです。

昨日に引き続き、とても天気が良く気持ちいい1日でした。

午後から風が強かったですが、我が家にいるカブトムシの幼虫くんたち
のサナギになる前の引っ越しができたので良かったです。

風で砂まみれになりながら、これもまた一興。

知人にあげた分が減りましたが、それでも40匹超いる幼虫くんたち。

ここからどれだけ羽化してくれのか・・・全員何とかしてあげたいものです。

快晴の1日、午前は何をしていたかというと、小学校の運動会に行ってきました。

春と秋の運動会シーズンは、小学校、幼稚園、保育園に呼んでいただいていたのですが、コロナ禍でしばらく行ってなくて。

数年ぶりにTHE・運動会を見ました。

コロナ禍以前にも増して感じることがあって、考えたことを整理します。

30年前と同じことをやっている

なんか聞いたことのある歌、見たことのある競技、周りでは自分たちの小学校時代はこうやってたと振り返る大人たち。

総じて言えば、やっていることが変わっていない、という感想です。

自分たちの頃はこうだった、と言っている大人もやっている種目は全く同じですから、まさに「根拠、俺」のどうでもいい話な訳です。

これだけ時代が変わったにも関わらず、同じことをやっているのってどうなんだろう・・・とシンプルに疑問を持ってしまいました。

先生方も一生懸命やっていらっしゃると思いますので、その良し悪しを指摘するつもりは一切ありませんが、これは見直しが必要なのではないかと感じまして。

簡単に2点後述します。

後ろの方でやり過ごしている子たちをどう捉えるのか

自分の運動会の記憶の中には無かったのですが、大人になり俯瞰して見ると取り残されている子が多くない?という部分です。

自分は運動会大好き、積極参加型でしたので、楽しかった記憶しかありません。

できれば人よりたくさんの種目に参加したい、と思っていましたので。

一方で、外から見ていて気づくのは「やらされている感」が溢れ出ている子どもたちが多いとうことです。

それを見て振り返ってみると、確かに当時から適当にやっていた友人って少なくありませんでした。

「なんでそんなにこだわりないの?」というくらい、参加種目に本気でない人を疑問だったことを思い出しました。

きっと、当時の彼らも今の子どもたちも取り残されていたのだろうなと思います。

運動能力を適正に見抜いているのか

1年生から6年生までに共通して感じたことなのですが、「しゃがめない」ということです。

手を抜いている訳ではないことは分かるのですが、重心が高く、足関節、膝関節、股関節がスムーズに曲げられていません。

世の中で言われるように、昔の人に比べて運動能力が落ちている、という点ではそこまで違和感を感じません。

一方でこの「しゃがむ」のような動作の細かな部分に弊害がありますね。

普段の指導現場にいる子どもたちの傾向から理解してた通りではあるのですが、ここって学校ではアプローチできていないのだろうなと理解できました。

そりゃそうですよね、体育の専門でもない先生が教えていたりする訳ですから難しいですよね。


挙げればまだまだたくさんありますが、総じて言えるのは「運動会は誰の何のためにあるのか」ということ。

これを見直す必要があるんではないかと、僭越ながら感じる次第です。

学校でできないことを、民間事業者である自分たちのような存在が埋めていかないといけないのでしょうね。

これは社会課題だな・・・。

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