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No.117/ボーダレス、インクルーシブを自問する(2024.04.26)

こんにちは、くのてつです。

知人が運営する体操スクールで、隻腕の男の子を受け入れているクラブさんがあります。

今日はそのクラブさんの視察をさせてもらいました。

その男の子は小学1年生で、クラスの誰よりも元気で思いっきりカラダを動かしていました。

特別視して見ているつもり一切はありませんが、その子やクラスの仲間、コーチたちがスタンダードを示してくれているように感じました。

インクルーシブな**というワードをよく耳にするようになりましたが、全て受け入れられる、または受け入れるべきだとは思いません。

ただ、受け入れる側の自分たちの在り方がどうか、という問題だと理解しています。

前述の男の子は、知人のクラブに入るまでその地域全てのクラブで入会を断られたそうです。

専門家でない自分たちが応対して何かあったら…。

その気持ちやリスクヘッジは理解できます。

当然覚悟がいるものであるとも思う。

しかしながら、そもそも子どもたちのスクール事業に取り組んでいる時点で、その覚悟ができているのが本来です。

そう考えると、保身のための逃げでしかないのでは?と勘繰ってしまう自分がいます。

現に自分もありがたいことに100人100通りのキャラクターに接する機会をもらってきました。

身体の障害、発達、知的な障害と診断されている子たちもいました。

受け入れができたケースもあれば、力不足でお断りせざるを得なかったケースも沢山あります。

その子に合わせたサポートをするために、自分たちでは不十分なことも当然あります。

全て公平平等に!なんてきれいごとを言うつもりもありません。

それでも望まれるのであれば最大限応えたいと思うのは自然なことではないかと思います。

大人が大人の都合で勝手区別するケース、シーンは往々にしてあります。

それがスタンダードになりすぎて誰も不自然だと思わず、気づいていないことだってあります。

じゃあどすればいいの?って話ですが、明確な答えは持っていません…お恥ずかしながら。

でも1つハッキリ言えるのは、これまでの価値観をドラスティックに見直すタイミングにきているということです。

最近、精神障害の方の都営交通の割引が話題になっていました。

医科学的に身体、精神障害の2分類がスタンダードになってきているそうです。

日本は?といえば、身体、知的、精神障害の3分類が行政の仕組みになっています。

この分類に目を向けるだけでも、変わらないといけないことは明白です。

そんな時代にあるからこそ、特に子どもたちと接する事業をやっている自分たちのような存在こそ、まず変化していくべきだと思います。

そんな世界観を構築すべく、また今日から精進です!

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