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No.120/本当に「みんな違ってみんないい」のか?(2024.04.29)

こんにちは、くのてつです。

G.W.前半戦も最終日。

この3連休は行事が重なり、仕事している方が楽だったな・・・と思える時間でした。

なんと素敵なことか(笑)

さて今日は先日目にした以下の記事について考えます。

言わずと知れた工藤勇一さんは、著書や講演などでも「心の教育」の弊害を指摘されています。

自分もその指摘を聞くまでは、一切違和感を持っていませんでした。

おそらく多くの方が自分と同様ではないかと思います。

自分が記事を読んで気になった箇所をいくつか挙げてみます。

心を鍛える努力が「よい行い」につながるか?

工藤さんは孔子の章句を引用してこれを否定されています。

七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず

この章句は大変有名で、「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。」の最終段階を引用された訳です。

つまり、ほとんどの「心の教育」の対象になっている世代に心を鍛える努力を伝えたとしても、それはまだまだ早いということです。

孔子でさえ70歳になってようやく人の道を外さなくなったと言っている訳ですから、それだけ難しいことを強いていることになりますね。

だからやらなくていい、という訳ではないと思います。

正しいことを正しいと考えられる力、その上でそれを実践できる力。

これを身につけていくことが重要ですね。

こうあるべき、といったべき論ではなく、自分で考える、みんな考える環境を大人が用意できるといいですね。

みんな違ってみんないいのか?

これは過去に工藤さんのお考えを知り大変納得したもので、今回の記事においても挙げられていました。

「みんな違っていい」なら、対立を覚悟せよ

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/041100387/

学校では誰もが「みんな違ってみんないい」という表現を是としています。

自分もそうだったことをはっきり覚えています。

それにも関わらず「心を一つに」や「チーム一丸」というキラーフレーズを多用して同調性を求める矛盾が生じています。

つまり、「みんな違ってみんないい」ということは、多様性を認めることであり、それぞれの主張を受け止めることが前提になるため、必ず摩擦が生じるということです。

日本人はこの摩擦を嫌がります。

会社なんかは顕著で、我慢して悪口陰口言っている・・・なんてよくありますからね。

そんな人に限って「みんな違ってみんないい」と「心を一つに」を共存させている。

その矛盾を理解して、摩擦が生じつ必然を受け入れる学びこそ、今の大人に必要なことかも知れません。


学校教育の現場だけでなく、日常の中にある家庭や習い事の環境においても工藤さんのような考え方を持つ大人が増えることが、子どもたちの幸せにつながるように感じます。

その一人になれるよう、自分も摩擦を受け入れ多様性の中を満喫したい、そう思う次第です。

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