No.125/全員をかぼちゃに見る能力の土台になるもの(2024.05.04)
こんにちは、くのてつです。
今日も昨日に引き続き快晴。
仕事で秋葉原を歩いていると「こんなに人いる?」というくらい外国の方、日本人の方がごった返していました。
コロナ前、そしてコロナで閑散としていた時期も見てきただけに、嬉しい反面、人混みが苦手な自分はどこかコロナ禍が懐かしく思う瞬間もあります。
(※不謹慎ですが悪意はないのでご容赦ください)
コロナ前と自分の中では随分心境の変化があって、当時はどうしても我が物顔で闊歩する外国の方が苦手だったのですが、今は受け入れることができるようになりました。
その変化のきっかけや、自分の中で進化したことなど、少し振り返ってみたいと思います。
人間力が欠けていたあの時の自分
以前の自分はどこか反応的でした。
上司や先輩にも気に入らないこと、正義に反することがあるとまず噛みつきにいっていました。
現場でぬるくやっている人には厳しく、言い訳をしてくる人は論破して、とにかく厳しい奴だと思われていたようです。
現に、あなたは怖い人だと思っていた、としばしば感想を聞くことがあるので、そうだったのでしょう。
確かに気に入らな人にはマウントを取ろうとしてしまう自分がいましたし、何よりもナメられたくないって変なプライドがあったのだと思います。
これを今振り返ると、明らかに人間力が低すぎますね・・・恥ずかしすぎるレベルで。
それ故、外国の方々の姿が許せなかったのだと思います。
いずれにしても、そのまま年を重ねなくて本当に良かったと思います。
きっかけは「全員かぼちゃ」
そんな自分が変わるきっかけは、大先輩(今はメンター:以降メンター)からの助言でした。
コロナ禍に突入するタイミングは様々な事業者さんが変化を迫られていたと思います。
例外なく自分が所属していた企業でもその波がきていたのですが、時の上司たちは何も動こうとしていませんでした。
そこで自分が事あるごとに噛みついていたのですが、そんな時にメンターが「それじゃまだまだだね」と言ってくれました。
相手に「反応してしまっている」うちはダメだと。
どれだけ気に入らないことがあっても「全員がかぼちゃ」に見えるくらいドシっと構えないと、誰も何も得しないと。
ハッとしましたね。
自分は正しいことを言っている、正しい行動を取っていると思っていたのですが、それがいろんな場面で自分や周囲に制約となっていたのか・・・。
そう気づかせていただきました。
そこから学び方を変えて、ようやくスタートラインに立てるところまできたかな、という感じです。
ここで挙げ出すとキリがないので、また追ってこのテーマについて投稿したいと思います。
人間力を高める努力をしなくなったら、魅力的な人にはなれません。
まずは土台となる人間力から育む、そんな環境や仕組みを未来に残したい。
そう思います。
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