No.121/「本気でやれ」は死語?(2024.04.30)
こんにちは、くのてつです。
G.W.の前半戦も終わり、祝日の間の出勤をしてきました。
4月はいつも以上に電車が混み合ったり、何らかの遅延が多い印象がありますが気のせいでしょうか。
電車はもちろん、新幹線や飛行機もコロナ禍の空席が嘘のように満員ですから、リモートワークはどこに行ったのだろう・・・と疑問です。
さて、今日は「本気を出す」ということを考えてみたいと思います。
この三連休でとあるダンスの発表会に行ってきたのですが、舞台前に保護者らしき人から「そんなんじゃダメ!本気でやってよ」と叱られている子どもたちを見ました。
なんか気持ちは分からなくないけどな・・・。
でも、その指示っておかしいよね?という話でして、その辺りを整理してみます。
本気でやれ!を解体する
自分は「全力でやれ」や「本気でやれ」って指示を出すことはありません。
大人の方でもあまり使う機会はないので、子どもたちにはさらに使う機会がないという感じですね。
そもそも「本気でやれ」ってどういう意味なのか。
これを考えることが大切だと思います。
やっている人は本気でやっているかも知れない。
自分の本気と相手の本気はイメージが異なるかも知れない。
大前提として、そこを理解しておくべきだと思います。
だいたい相手のことはどう頑張っても分かることはない訳ですから、決めつけて掛かる必要はありません。
あくまでも「本気でないなら本気でやれ」ということになります。
つまり、ベクトルを自分に向けているとただの自分本意な気持ちの押し付けに過ぎず、何の成果も生まないことになります。
本気でやれ!ブーメランを考える
相手に投げかける「本気でやれ」は自分に返ってきます。
というより、そのように考えることが本来だよね、という話でして。
どういうことか?というと、「あなたは本気でやっているのか?」と問い返されるということです。
子どもたちに「全力でやれ」と言っている人は、自分は本気でやっているのでしょうか。
指導の現場に限らず、仕事でも家庭でも、自分の生き方は全力なのか?って話です。
ほとんどの方が「自身のことを棚にあげている」ことに気づくと思いますし、実際に「本気を出せていない」のではないでしょうか。
自分はそれが納得いかないんですよね。
かくいう自分はいつも全力かと問われれば全然そんなことありません。
むしろ、怠け癖がひどいタイプです。
だからこそ、一緒に全力でトライしよう!というスタンスでいます。
このように考えることから始めなければいけないと思います。
大人は自分のことを棚に上げても、子どもたちを従わせるシーンがあります。
これは決してあるべき姿ではなく、型にハメようとする行為になります。
大人の自分たちは型にハメることではなく、いつでもサポートできる場所で見守り、チャレンジを応援することでしょう。
まずはそんな自分を「全力」で見直そう、ということですね。
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