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シン・進化論
生きとし生けるもの、全てが違う生き物である。
たまたま似ているだけで、分類しているだけで、究極は心に辿り着くまで、違う生き物なのだ。
地域の人達は差別しない様にしよう。日本人は差別しない様にしよう。東洋人は差別しない様にしよう。人間は差別しない様にしよう。
顔の違いが区別できる事で、逆に差別しない様になった。
身体の違いが区別できる様になり、性差別を無くそうとしている。
身体の区別が更に進むと医学はどうなるか。より、自然治癒に任せるしかなくなるのかも知れない。
身体の区別から心の区別まで進むと、精神医学が変わるのだろうか。
そもそも区別ができるようになったのに、差別が生まれたのは、仲間が居ない恐怖、敵がいる恐怖の2つの恐怖なのかも知れない。ポジティブな恐怖とネガティブな恐怖だが、その恐怖により幸福も生まれたのかも知れないが、恐らく同時だろう。
話は逸れたが、生きとし生けるものが違う生き物としたら、人間も生まれた瞬間から新人類なのである。新種の生物が発見されるのも、区別する能力が高まったダケのこと。人類と動物の区別は元々できるのに差別があるのはなぜか。全てが区別されるべきなのに、進化論の謎の系統があるのはなぜか。
違いはDNAだけでもない。
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