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渡邉美穂

推しの卒業を経験したのは初めてではない。
欅坂46で経験している。
なんなら、解散だって経験した。

いや、それ以上に、クニラは人生で何度も別れを経験してきた。
妻や子供との別居、親の死、同棲相手との別れ。

その度に悲しみを乗り越えてきたし、そして、慣れもした。
今では、ちょっとやそっとの事では「へこたれやしねぇ」し、たぶん、クニラのメンタルレベルは関東ベスト16に入るレベルだ。

そして、これからの人生、悲しい事なんて、そうそう無いだろうと、既に達観もしている。

故に、たかがアイドルの卒業などで。。。と。

それなのに、なぜ、こんなにも悲しいのだろうか。

日向坂46 渡邉美穂。
クニラの推しメンである。

2022年4月3日(日)20時
ブログにて卒業を発表した。

この記事は、クニラが美穂を推してきた備忘録であり、今の気持ちを整理したかっただけの自己満足的な記事です。
感動的な内容ではないので、何も期待しないで下さい。

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美穂を最初に観たのは2期生オーディションのSHOWROOM審査の時。
「キョロちゃん」と呼ばれていた娘。

可愛いだけでなく、顔がクニラの好み(ど真ん中)だったので覚えている。
ただ、それだけの印象だった。
その後の合否すら確認していない。
そもそも「ひらがなけやき」に、そこまで興味がなかったもの。

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それから何ヵ月後、「欅って、書けない?」の2期生初登場回での美穂を見て「あの時の娘か」と存在を認知した。

そこから、クニラの怒涛の美穂推し生活が始まった!と言う訳ではない(ズコ)

その回では「埼玉が生んだ怒涛の起爆剤」やハライチ澤部との1on1で、かなり爪痕を残した。

クニラの感想は「ああ、きっとこの娘が、今後のひらがなけやきの中心になっていくんだろうなぁ」と思ったし、それはクニラだけではなく、世間的にも、そう言う評価だったと思う。

クニラにとって、顔の好みがど真ん中である美穂ではあったが、根っからの天の邪鬼であり、ひねくれ者のクニラなので、中心人物のような娘を推したりはしない。

ましてや、欅坂のファンなので、わざわざ「ひらがな」しかも、その2期生に推しを作る必要もなかったし、その後、クニラの応援シフト比重が「ひらがな」に移行した後も、目立った活躍をする美穂を推しとする事が出来ずにいた。
(僕なんかです)

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クニラの推しに対する美学は「単推し」である。
推しと宣言するのは1人と決めている。
(これはあくまでクニラの中での美学であり、複数推しを否定しません)

この当時、別の推しがいた。
推しと宣言していたメンバーがいた。

だが、その推しのグッズと同時に美穂のグッズも買っていたし、もちろんトークだって初回から取っている。
写真集だって発売日に買っている。
動画や画像チェックだって、推しと同等にしていた。
ただ、他に推しがいる以上、美穂推しであるとは宣言は出来ない(クニラの勝手な美学だが)

だから初登場から美穂推しではないと書いている。
ただ、初登場から、ずっと好きだった。
それに気づいたからこそ、美穂に推し変したのだ。

美穂が卒業するにあたり、この感情がクニラの悲しみを倍増させている気がしてならない。

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クニラが推し変、つまり美穂が推しであると宣言したのは、かなり遅い。

2019年9月4日。
「ひらがなけやき」が日向坂になって、半年が過ぎた頃だ。

その時の心境は今でも覚えている。
もちろん、その時の推し活も楽しかったし、充実もしていた。
ただ、ずっと、心の中にモヤモヤがあった。
それは当時の推しメンに対してではなく、美穂に対してであった。
この推し変宣言の日まで、何度も何度も自答自問した。

クニラA
「お前、本当は美穂を推したいんじゃないのか?」

クニラB
「今更、推し変出来るか!ひらがな時代から美穂を推してきた方に申し訳ないし、なにより今の推し(今カノ)を裏切れない」

クニラA
「じゃあ、何で、ずっと美穂を追いかけているんだ?」

クニラB
「そ、それは、顔がど真ん中で好みだからだよ。。。」

クニラA
「そう言うのを推しって言うんじゃないの?」

クニラB
「た、確かにそうだけど。。。推しって、それだけじゃないだろ?キャラとか」

クニラA
「お前、美穂のワンワン好きじゃないか」

クニラB
「別にワンワンだけが好きな訳じゃないわ!他にも寸劇だって、ワードセンスだって好きだし、メンバー思いのところとか、頑張り屋なところとか、演技だって好きだし、歌だって、ダンスだって。。。」

クニラA
「それだけ好きなら、すでに推しじゃんか!」

クニラB
「そうか。。。クニラはずっと美穂が好きだったのか。。。」

クニラA
「嘘つけ!気づいていたくせに!これで決定だな!美穂推し宣言をしろ!今なら当時より美穂もあまりフィーチャーされてないし、ひねくれ者のお前でも素直になれるだろ?」

クニラB
「ただ、今更。。。」

クニラA
「今更もクソもあるか!推しを宣言するのに誰かに遠慮が必要なのか?お前が美穂を好きか嫌いか、それだけが大事な事だろ?好きな娘だから推しメンにするって当たり前の事じゃないか!それが出来ないならファンなんか辞めてしまえ!」

クニラB
「確かにクニラが美穂を好きか嫌いかだけだよね。それならクニラは美穂がずっと好きでした」

クニラA
「まだ間に合うよ。美穂はこれからだって、ずっと日向坂にいるし、きっと、いつかセンターだって務めるよ。今、推し変しないと、その時に後悔するぞ」

クニラB
「わたし、決めた!美穂推しになる!」

クニラC
「クニラB!おめでとう!」
お前は誰だよ!(笑)

こうしてクニラは美穂推しになりました。

余談だが、その当時の推し(元カノ)は今でも大好きで、ずっと追いかけている。
不思議なもので、美穂に推し変した後は逆転現象が起こって、立場変わって同じような自答自問を繰り返す日々。
都度、美穂が勝っているので、最後まで美穂推しで終われそうです。 

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単推しを美学にしているクニラにとって、推し変とは一大決心であり、大変な労力を使う事なのだ。
推しメンタオルも、その他グッズも全ての物を変えなければならない。
特にゲームとかのコレクションは大変だと思うが、ユニエアは推し変後なので、間に合っている。
まぁ、クニラのバカな美学が悪いのだが。

幸いにも美穂の推しタオルは、都度買っていたので既にある。

後は美穂推しデビュー戦を迎えるのみ。

そのデビュー戦は2019年9月16日ドレミソラシドの全握ミニラとなる。


今まで隠れ美穂推しを続けてきたクニラにとって、初めての美穂推しタオルを持参しての参戦は、なんだか誇らしくもあった。
(元推しへの後ろめたさもあったけど)
因みに握手はしてません。

この後も、今までの抑圧からの解放なのか、まさに推せるときに推せだ。

行けるライブは、いや、単独ライブは全て行った。(今までもだったけど)
同じ公演でもチケットが取れた日は全て行った。

2019年9月、さいたまスーパーアリーナーワンマンライブ。

「優しさが邪魔をする」良かったなぁ。

2019年10月には3枚目シングル「こんなに好きになっちゃっていいの?」の全握ミニラを観たその足で、三重県は蒲郡のラグーナテンボスでのラグーナフェス。
(メンバーと同じスケジュール)

ラグーナでは、整理番号の後ろの女の子(中学生?)が美穂推しだったので、オールスタンディングでのライブが観え易い位置まで一緒に行ってあげたなぁ。ライブが始まるまで何時間待ったか。
美穂は当時は珍しくポニーテールだったよ。

11月には有明ビッグサイトで行われたドローンレースの謎のイベント。
寒かったわ。


そして、USJのクリスマスライブ。
初めて深夜バスで行ったよ。

その帰りにJOYFUL LOVEのロケ地に聖地巡礼。

クニラが履いていたラバーソールのラバーが折れてる程、過酷な場所だった(笑)


12月は「ひなくり2019」

初日だったので、東京ドームのサプライズは現場で見れず悔しかった。

年が明けて2020年。
コロナ前の最後の有観客ライブ。
日向坂×DASAD。

2日間とも行った。

小坂は欠席だったけど、美穂と丹生ちゃんの「キレイになりたい」最高だった。

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そしてコロナ禍に突入。
幻と終わった春の全国的ツアーは、全て行く予定だった。

この他にも群馬と横浜も当選。

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書き出したら切りがない。

コロナ禍での配信はカラオケのプロジェクタールームやレンタルシアターを借りて模擬ライブ観戦をしたり、クニラにとってミーグリはカロリー高いが、初めて参加した。(その後干す事が多いが)

悔やまれるはジョイフルシートの抽選にハズレた事だ。

「3年目のデビュー」は初日に、わざわざ越谷レイクタウンに観に行った(笑)

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そして!遂に2021年、夏。
有観客ライブが復活。
メチャクチャ暑かったケヤフェス2日目。

確か、この時「ひなこい」の第1回の彼イベ中だったのかな?
この時初めて1位となりました。
今思えば良い記念になったね。


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「全国おひさま化計画」の記事に書いた。

広島。

東京2日間。

横浜ぴあアリーナでのMTVのライブも行ったわ。

「ひなくり2021」


そして遂に東京ドーム
2日間とも行った。

まさか、この直後に、今までで1番悲しい報告を聞くなんて。。。

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推しと宣言したあの日(2019年9月4日)から今日まで(2022年4月5日)まで944日。

その前の年月もあるので、思い出は尽きない。
今後はそれぞれの思い出を記事にしていこうと思う。

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卒業の報に接した時は、動悸が止まらなかった。

ちょうど、このnoteで東京ドームの記事を書いていて、ネットを見ていなく、気づいたのは、かなり遅かった。
書き終えてツイートしようとTwitterを開いたら、そんなツイートばかり。
「まさか、嘘だろ!?」と慌ててファンクラブサイトを見た。

正直「こんな仕打ちってあるか!?」とすら思った。
そこから動悸と震えが止まらず、その日の「ひなあい」など、まったく内容を覚えていない。

「ひなこい」のランキングでメッセージを作ろと誘われて、少し気が紛れたぐらいだ(ありがとう)

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次の日、仕事を休もうと思ったが、どうしても外せない仕事があり、仕方なく仕事に行った。

電車では、駅に早く降りる事1回、乗り過ごす事1回(笑)
「クニラさん元気ないですねぇ、体調悪いのですか?」と言われても、「いやー推しが卒業するので」とも言えず、現に動悸と震えは止まらず、体調は悪いので、そそくさと帰宅した次第だ。

家に帰っては何度もファンクラブサイトを見直し、変わるはずのない卒業の報告を何度も開いては閉じた。

情報はなるべく遮断した。
皆、同じ思いだから、余計悲しくなる。

何で、こんなにも悲しいのだろか。
言葉は悪いが、たかがアイドルの卒業じゃないか。

推し変した時のように何度も自答自問したりした。

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美穂がいたから苦しい事も乗り越えられた、美穂が心の支えだった、なんて言う程、そんな大層で大袈裟なものではない。

ただ、この3年間、クニラの日常には、いつも渡邉美穂が居た。

だからこそ心にポッカリと穴が開く。
寂しいしとか悲しいとかではなく、どう言う風に呼吸をしていたのかを忘れてしまう。

同棲相手が出ていった後のガランとした部屋を眺めた時の感情に似ている。
何回か経験してきたこの痛み。
まさか、こんな痛みをもう1度味わうとは思わなかったなぁ。

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別に卒業したとて、渡邉美穂は活動を続けていくのだから、応援すれば良いのだけれども、クニラは美穂が好きだから日向坂のファンだった訳ではない。
日向坂が好きで、そのメンバーである渡邉美穂を推していたのだ。
日向坂46の渡邉美穂が好きなのである。

だからこそ、卒業とは残酷であり悲しいのだ。
トークだって、ブログだって、ゲームだって、時がくれば、全て消されてしまう。
まるで日向坂に存在してなかったように。

クニラにはそれが耐えられない。
これからも「おひさま」として日向坂を応援し続けていく自信を失う。

本当ならば「卒業おめでとう」と言わなければならない。
推しの勇気ある決断や新しい門出を快く送り出さなければならないのに。

日向坂の渡邉美穂について、記事にするのは、おそらく、これが最後だから、敢えて書く。
1番辛いのは美穂だって事も承知で書く。

卒業は早すぎるよ。美穂。
クニラにとっての「約束の彼の地」は東京ドームなんかじゃない!
美穂がシングルのセンターになる事だったんだよ。
そこには連れていってくれないのかよ!

推しになったのは最近だけど、それは卒業なんて、まだまだ先の話だと思っていたから。
もう日向坂の渡邉美穂を見る事が出来ないなんて悲し過ぎるよ!

こんな日が来るなら、沢山行ったライブの瞬間瞬間をもっと大切にすれば良かった。

今更、後悔しても仕方がないけど。。。

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不思議なもので、人間の悲しみなんて、時間が解決する。
卒業の報を聞いたその日から続いていた、動悸と震えも止まり、少し落ち着いた。

きっと、そのうちクニラも渡邉美穂が在籍していた日向坂を忘れてしまうのだろ。
それはそれで良し。
明るく応援するのが「おひさま」だ。
美穂もそれを望むことだろう。

でも、やっぱり、クニラは美穂が居た日向坂を忘れたくない。
だから記事を書いた。

日向坂の美穂と過ごした3年間は確かに存在していて、それはクニラとって、かけがえのない季節だったから。
そして、それが、この3年間を生きてきたクニラと美穂の証なのだから。

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渡邉美穂 様へ。
卒業おめでとう。
卒業は少し早いけど、勇気ある決断は美穂らしくて大好きです。

今まで、色々な世界を見せてくれて、ありがとうございました。

これからも応援するから頑張って下さい。

おわり。

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