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「健康増進法」に対する違憲訴訟の趣旨について

 2021年9月10日、健康増進法に対する違憲訴訟を起こしました。
 以下は、東京地裁での記者会見の席上、この訴訟の趣旨を説明するために読み上げた文章です。

 いろんなご意見があることは承知しています。
 また、マスコミ報道では(不可避ですが)意を尽くしているとは言いがたい部分もあります。賛成か反対か、どちらにせよ、一つの問題提起としてご理解頂ければ幸いです。

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 私たち喫煙者には、非喫煙者の方々に対して、実に長い「負の歴史」があります。

 半世紀ほど前、現在から見れば驚くべきことですが、成人男性の実に八割が喫煙者であった時代がありました。飲食店は言うに及ばず、バスでも電車でも飛行機でも、病院の待合室でさえ、 灰皿が常備されていました。当時は、喫煙こそが「当たり前」の時代であり、少数ながら存在していた非喫煙者の権利は、全く無視されていたのです。
 このような状況下の1980年4月7日、日本国内で初めて反喫煙の狼煙を上げた「嫌煙権訴訟」が 提訴されました。当時の時代風潮の中では勝訴することはできませんでしたが、この「嫌煙権」という言葉は、非喫煙者に大きな勇気を与え、時代は少しずつ変化の兆しを見せ始めたのです。

 それから約半世紀を経て、状況は見事に逆転しました。
 その象徴が、2020年に施行された改正健康増進法です。この法律によって、成人人口の二割にまで激減した喫煙者たちは「喫煙の場所」を徹底的に剥奪されるようになりました。
 公共的な場所はもちろんのこと、凖公共的な場所ともいうべき飲食店でも、完全禁煙が当たり前の時代になってしまったのです。とりわけ、喫煙を楽しみながら(その同じ座席で)食事するという権利を、喫煙者は、ついに恒久的かつ完全に剥奪されました。

 もとより受動喫煙の被害は重大です。
 依然として、私たち喫煙者は、非喫煙者に対してご迷惑をおかけしている場面があるに違いありません。しかしながら「酒癖が悪い人」がいるのと同様に、いわば「たばこ癖が悪い人」がいるからといって、全ての喫煙者が(あるいは全ての飲酒者が)人様に迷惑をかけているわけではないと思います。
 むしろ現在では、ほとんどの喫煙者は、標準的な喫煙マナーを遵守して、然るべき場所で喫煙を限るなど、それなりに礼儀正しく振る舞っているのではないでしょうか。私たちの大半は、ただの気弱な喫煙者に過ぎません。
 にもかかわらず、半世紀前とはきれいに逆転して、今や少数者へと転落してしまった喫煙者から「喫煙の場所」は、見事なまでに剥奪されてしまったのです。依然として、二割の国民が喫煙を楽しんでいるにもかかわらず。

 今度は、半世紀前とは、ちょうど逆の暴力が生まれている可能性はないでしょうか。
 なぜ、私たちは、すぐに極端から極端へと振り切ってしまうのでしょうか。

 ここでは、訴状にあるような詳細な議論を展開したいとは思いません。
 本質的な論点は一つです。即ち、現行の改正健康増進法は、受動喫煙の回避という合理的な目的を持つにもかかわらず、実際に採用している手段は「その目的に対して必要以上に(合法的な)喫煙者の権利を侵害するものである」という点を析出しています。要するに「やり過ぎではないか?」ということです。
 そもそも、喫煙とは合法的な行為であるという点にご留意下さい。

 受動喫煙を回避すること。
 あくまでも、これを大前提として、喫煙者と非喫煙者が双方ともに共生できる道を探ることはできないのか。
 今回の健康増進法に対する訴訟は、それを模索するために提訴されました。

 私は、東京都八王子市で「フードバンク八王子 」という団体を主宰しています。
 そこでは、日夜、困窮者や障害者と共に奔走していますが、その運営理念として「八王子を地域共生社会へ」という目標を掲げています。
 困窮者や障害者、あるいは喫煙者や非喫煙者といった社会的属性が何であれ、それ以前に一人の人間として相互に尊重し合いながら、一つの社会の中で共生するために活動しているのです。

 日本には、今もなお共生の空間から排除されている様々な「少数者」が存在します。
 ここ最近では性的少数者が注目を集めていますが、どのような少数者であれ、それが非合法でもない限り、その立場を承認してもらうべく発言する基本的な権利を持つはずです。
 ところが、数多ある少数者の中で、ただ喫煙者のみは、有無を言わせず一方的に攻撃されるばかりです。そればかりか、驚くべきことに、議会の中にさえ、喫煙は合法であるにもかかわらず、 その代弁者が存在しません。議員にとって、喫煙者を代弁することは集票の妨げにしかならない からです。
 今回、立法府ではなく、司法府に訴えざるを得ない所以でもあります。

 冒頭でも申し上げましたが、私たち喫煙者には長い「負の歴史」があります。
 それを率直に認めながら、それでもなお、一方が他方を健康の名の下に「駆除・絶滅」させるのではなく「共生」できる道を探ることはできないのか。
 つまり、現在の余りに圧倒的な「喫煙者絶滅政策」を、合法的な少数者の権利擁護の視点から、 わずかでも共生論的に転回させることはできないのか?
 それを痛切に願いながら、私はここで、文字通りの「蛮勇」を振るっています。現代の日本で、 しかもコロナ禍の日本で、一人の喫煙者として公に声を挙げることが、ある種の危険性をも孕まざるを得ないことを予感しているからです。

 どうか、みなさまのご寛恕とご理解を賜れば幸いです。 
 よろしくお願い申し上げます。

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今回の訴訟について、より詳細で、かつ論理的な内容に関心のある方は、以下の文書(脱稿は2020年11月)をご参照下さい。


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