漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』㊳ アル北郷
北野映画10作目「Dolls」撮影時、‘‘引っ越し屋B”といった役で、出番を待っていたわたくしは、助監督より、「北郷さん。セリフが増えました。これ、監督からです」と、一枚のメモを渡されたのです。そこには細かい字でびっちりと、このようなやりとりが書いてありました。
北郷「おやっさん、この赤巻紙青巻紙黄巻紙って書いてあるダンボール、捨てちゃっていいですか?」
おやじ「おう。いいだろ」
北郷「あと、あっちの、竹薮に竹立てかけたのは、竹立てかけたかったから、竹立てかけたって書いてあるダンボールも、捨てちゃっていいですか?」
おやじ「おう、それも捨てちゃっていいだろ」
北郷「はい、あと、そっちのラバかロバかロバかラバか分からないのでラバとロバを比べたらロバかラバか分からなかったって書いてあるダンボールはどうします?」
おやじ「それも捨てちゃっていいだろ」
北郷「分かりました」
馴れない現場の馴れない役者という仕事。普段付き人でついている、師匠である北野武監督の前で、やり馴れない芝居をしなければいけない。とにかく不安だらけのわたくしは、楽屋からすでに
ど緊張しており、助監督から手渡されて、今思えば明らかにおかしなセリフに何の疑いもなく、
「早く覚えなければ・・・」と焦りだしたのです。
が、覚える時間もなくすぐに本番となり、助監督に誘導されるまま、手に渡されたメモを持ち、楽屋を出て撮影場所のマンションの一室へと向かったのです。
撮影場所の2DKの部屋へ入って行くと、そこにはスタッフさんがぎっしりと詰めており、いかにも、‘‘活動屋の現場‘‘といった空気に満ちあふれていました。そんな現場に入って行き、わたくしは顔見知りのスタッフさんに目を合わせ、「おはようございます!おはようございます!」と元気よく挨拶を。が、皆、目を合わせず答えてくれません。
あれ?普段から大変静かで、‘‘クール‘‘な撮影現場の北野組ですが、それにしたって無愛想過ぎます。
いつもは監督の付き人として北野組に参加しているわたくしです。
ですから、スタッフは皆さん顔見知りなんです。それなのに、無視とはいったいどういう事でしょう。
ま、これも後で分かった事ですが、スタッフはみな北野武監督の指示で、どっきりのために意図的にやっていた態度でした。
が、そんな事など全く気づいていないわたくしは、スタッフの冷たい態度に焦るばかり。
と、「えー、ご紹介致します。運送屋B役の、アル北郷さんです」と助監督がスタッフにわたくしを紹介。
「よろしくお願いします!」元気よく挨拶。
いつもなら、誰が紹介されてもそれなりに拍手が沸き起こる場面なのに、この日は全く拍手がない。あれ?
さらに、「お前になんか興味ねーよ」といった顔つきで、嫌な空気を醸し出してくるではありませんか。
「なんなんだ? わたくしが一体何をしたと言うんだ・・・」
不安はどんどんつのり、わたくしのどっきり引っ掛かりメーターはグングンと上昇していく。
で、部屋の奥のディレクターズチェアに座る、師匠である北野武監督を見ると、監督は思いっきり不機嫌な表情で下を向いている。
「うわ! やばい。あの顔は200%機嫌が悪い時の顔だ・・・」
監督の付き人になって早5年。いつだってその日最初に監督とお会いする時は、気づかれぬよう監督の顔をちらっと見ては、その日の機嫌を確かめるのが常でした。ですから、顔を見れば大体わかります。この日の監督は、最悪の時の顔でした。
ビビりまくるわたくし。しかも、渡されたセリフをまだ一行たりとも覚えていない。
「どうしょう・・・」
が、当然ですがどうにもなりはしません。
とりあえず、カメラをセッティングしている僅かな時間に、必死でセリフを繰り返し読み込む。が、口に出して読めば読むほど、噛みまくりで最後までたどりつけない。
「どうしょう・・・」
尋常でない汗が、体のあらゆる毛穴から噴き出しているのがはっきりと分る。
それでも、冷や汗を吹き出しながら、必死につっかえつっかえ、2回程セリフを最後まで読んだ時、「北郷さん。よろしければ本番行きます」と、助監督が無情にも声をかけてくる。
「よろしい訳ないだろ!」そう叫びたいのをぐっとこらえて、「あ、はい。お願いします」
終った。出来る訳ない。言える訳がない。やれる訳がない。
絶対に出来ないとわかっていながら、カメラマン。照明。
録音。助監督、そして北野武監督の前で本番を迎える恐怖。
今思い返しても、あれ程逃げ出したくなった場面をわたくしは知らない。
「えーそれじゃ諸々よろしければ、本番いきまーす!」
よく通る助監督の声が現場に響き渡る。
わたくし、そしてオヤジ役の役者の二人がカメラの前に立つ。
セカンド助監督の青年がカチンコをカメラの前に出す。
北野武監督の隣に立つ助監督が、「よーい。スタート!」と声をあげ、カチンコの音が響き本番スタート。
わたくし「おやっさん。あそこの赤巻紙青巻紙、きまきききまきまきま・・・・」
助監督「ハイカット! もう一回行きまーす」
助監督の事務的なやり直しの声が響く。
テイク2
同じ流れでカチンコが鳴ったあと、
わたくし「おやっさん、あそこの赤巻紙青巻まきまき紙黄巻紙かみみかみ▲〇□$#・・・」一回目よりさらに酷くなっている。
当然、助監督のカットの声が入り、仕切り直しでテイク3へ。
わたくし「おやっさん。あそこの青巻紙赤紙黄色紙・・・」
助監督「はいカット!北郷さん、青巻紙じゃなくて、赤巻紙からです」
「すいません。すいません」平謝りのわたくし。
ここで、見なきゃいいものを監督の顔をちらっと見てしまう。
と、さっきよりも不機嫌な顔で、モニターを睨んでいるではありませんか!
「わ!あの顔は、出版社に殴り込んだ後、記者会見を開いた時の鬼の顔だ。一番おっかねーときの顔だ」
そんな顔を見てしまったわたくしの緊張は青天井で上昇。
それでも止まる事無く、撮影は続いていく。
テイク4、テイク5、テイク6と、NGだけが積み重なって行く。
このあたりから頭が真っ白になり、多分、泣いているような表情になっていた事でしょう。それと比例するように、現場の空気はどんどん悪くなる。スタッフから「これ、いつ終わるんだよ」といった感じのため息が漏れる。もちろんこれもスタッフの演技です。
テイク7。
わたくし「おやおやおや、おやっさん・・・」
助監督「はいカット。もう一回行きます」
あまりの緊張に、古傷の吃音が顔を出し、一番最初の「おやっさん」すらまともに言えなくなっているわたくし。
テイク8。
カチンコが鳴り、わたくしがセリフを言おうとした瞬間。
監督「北郷、どっきりだよ!」
現場にスタッフの笑い声がどっと響く。
あれ?
この時、あまりの緊張に、監督が何を言ってるのかさっぱり理解できず、ぽかんとしていると、監督は続けて、
「だからどっきりなんだよ。いつまでやってんだよ!」
人間、本当に追い込まれると、嘘のような空耳アワーになる。説明します。
この時、人生でかつてないほど追い込まれ、パニック状態だったわたくしは、監督の「どっきりなんだよ!」といった言葉を、
「どんぐりなんだよ」と聞き違い。信じられない事に、
「はい。出来ます。どんぐりなら出来ます!」と答え、両手を頭の上でクロスさせ、どんぐりの形態模写を、いたって真剣にやり出したのです。
監督「バカ野郎! 何やってんだよお前。もういいよ!」
助監督「北郷さん。すいません。監督の指示でどっきりでした」
ここでようやく、事の次第を飲み込み、現場に座り込むわたくし。
そんなわたくしを見て、
監督「お前もお前だ、引っ掛かり過ぎだろ。赤巻紙青巻紙なんて、そんなセリフあるわけねーだろ。考えりゃ分かりそうなもんじゃねーか」
笑顔でツッコむ監督。また、どっと笑い声があがる現場。へなへなになるわたくし。
その後、10分の休憩を挟み撮影は再開され、当初の予定通り、「おやっさん。終りました」といった短いセリフをなんとかこなし、その日の北野組の撮影は終了となったのです。
そんなどっきりがあった日から、二週間程した頃、このどっきりのおかげか、本来なら‘‘引っ越し屋B‘‘といった役で終るはずだったわたくしが、なんと、もう一個役が増え、‘‘引っ越し屋でバイトをしている、アイドルの追っかけの青木‘‘といった、主役のライバル役を追加でやることになったのです。さらに、「Dolls」公開時、映画館で販売されたパンフレットの役者紹介欄に、名だたる役者さんに交じって、写真入りの自己紹介が載ったのでした。これは後になって聞いた話ですが、北野組のスタッフの何人かが、「あれだけ見事にどっきり引っかかったんだから、可哀そうだから、北郷さんの写真をパンフレットに載せてあげようよ」と、進言してくださり、パンフレットに載る事が出来たのです。普段はとてもクールな北野組の、熱い一面を見ました。
ちなみに、わたくし、あまりにも追加で頂いた ‘‘青木役‘‘ が嬉しくて、「Dolls」は、映画館で7回見ました。
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