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他者、自己、多様性を履き違えた社会

私の中に感情が生まれる

なぜかわからないけど

その感情が湧き出てくる

私はただそれを受け取り、そして私のなにがそれを作り出したのか、私は何をどう見てどう受け取った結果として、その感情を味わっているのかを考える。

そうやって私が形作られていく。

私たち人間は、他者の存在無くして自己を知ることは難しい。

難しいというか、できないと言ってもいいのかもしれない。

知覚

行為

循環

私たちはその性質を持った脳神経系の機能を備えてここにいる。

感覚から刺激を得て、情報として集約され、

それを自己の経験、思考、観念、通念、社会的構成要素、常識と言われるものなどを介して、行為(思い、行動、感情、思考、ふるまい、痛み、症状)として出てくる。

心震わせるには、心震わせる場に自分の身を置くことが大切だし、心躍るには心躍る場を自分で感じきることも大切。

そしてその心踊るものは、個々人異なる。

その違いが、私という人間を知るヒントとなり、その共感が、私と言う居場所を教えてくれる。


多様性とは、それを受容することであり、性別の違いや障害の有無、人種の違いを認めよう、受け入れようではないと思っている。


そんなレベルで多様性を考えたら、薄っぺらい、表面的なものしか出てこない。そこを勘違いしている大人たちが、今のねじれた、歪んだ社会を作り出した。私もその歪みを生み出した1人と考えると、私はこれからの未来になにができるのか、、、を動作学そしてA-yogaを通して表現しようと日々過ごしている。


高齢化社会を考えよう!
「2040年問題を考える」そんな見出しがあがってきた。表現の違いだけど、なぜある事象/予測現象を「問題」と表現するのか!?

「2040年に作り出したい世界を考える」の方が、希望が感じられる気がするのは私だけだろうか、、、


現実を作り出したのは私たち。

そんな言葉一つ一つの積み重ねが、今の現実を作っている。

そこに違和感を感じて、その違和感を感じる私は、何を望み、何を考え、何をする人間なのか、、、私と向き合い、社会と向き合いたいと思う。

そんな風に感じられる1人でも多くと生きていきたい。

やる事は見えている。


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