トレーナーやインストラクターの仕事は思いやりの形の現れ
あっという間の11月。
現場で働く1人のアスレティックトレーナー/動作教育者から、組織をまとめ働く多くの人たち、関係する方達の最大限を導き出すマネージメントの役割への大きなシフトを実感する今日この頃。(向いてないと思うし、向いてないとも言われた、でもできないわけではないけどね、、、と、笑)
スタッフの働きがいや満足度を高め、サポートするためには自分はなにを変える必要があるのか。そんなことと向き合ったここ2、3ヶ月。
それは新たなチャレンジでもあり、しないという選択肢もあるけど、そのチャレンジをいただけている今には感謝しかない。その私のチャレンジに、初心者マインドに付き合わないといけないみんなには申し訳ないけど、必ず速い段階で結果を出す事だけは心に決めている。
さまざまな場面でスタッフや関係する少し若い世代の人たちと話をする。
集客に苦労していたり、リピートしてくれるお客様が少なかったり。
そんなとき、多くの人が自分に技術がないから、自分に知識がないからと思いがちだが、きっとそれは違うと思っている。
トレーニングやレッスンでお客様と接するということは、かなり密な関係がそこに存在する。
つまりは
「レッスンは、相手への思いやりの形である」と、私は思ってここまで来た。
施設にお花を飾るのも、ガラスドアを拭くのも、部屋の空気を入れ替えるのも、照明を明るくしたり暗くしたりするのも、これからくるその人にとって最適な状態はどんな状態かを思いすること。
だから施設が汚れていたり、花が枯れていたりすると私はいーーーーーっとなる。「思いやりない姿勢でレッスンしないで〜」って。
うちの施設はガラス張りなので、少し離れた所から歩いてくるお客様の姿が見えることがある。私はお客様がドアに届くその前からその方を見て、今日のお洋服、顔の表情、歩くテンポ、そんなことを観察しながら、その人は今日どんな1日を過ごしたのかなぁ、どんな気持ちでレッスンに来たのかなぁって想像して、お話しをしてレッスンの内容を考える。
私がやりたい事ではなく、まずは相手は何をこの時間に望んでいるのかを想像する。
体や動きの事が入り口かもしれないけど、最も大切なのはその人を知る事。
レッスンは思いやりの形
知識や技術ではない。
思いやるからこそ、その人に必要な事を考え学び、その人のために役立てる人間になろうとするだけで、知識や技術は最重要事項ではない。
そこをはきちがえると、お客様との関係性はキレやすいんじゃないかなぁって。
あの先生、技術と知識があるから私通っているの、、、は、本当に神がかり的なトレーナーやインストラクター/治療家だけで、私も含めたその他大勢の人には当てはまらない。
あなたのドアを開けた人をどれだけ思いやれますか?
それこそが大切な問いかけ。
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