あなたはなぜ考えるのかと問われたら
毎日広がる綺麗な青空とは対照的に、地上にいる我々は緊急事態宣言の延長にざわざわしている。
日常がひっくり返るような出来事が起こった時、私たちの行動は大きく分けて3つに反映される気がする。
1 身動きが取れないと感じ、他者批判に回る
2 身動きが取れないと感じ、自分が弱者であるスタンスを取り他者依存に回る
3 身動きを取れることは何かを考え行動を選択する
これはその人の能力や身体的な制限や年齢に左右されるものではない。
身体的制限があるからと言っても、精神的な他者依存になっている訳ではない。
身体的自立をしていても、精神的依存をしている人も沢山いる。
一概に依存を否定しているのではない。
人は支え合って助け合って生きている。
ただ、自分で考えることをやめ、自分が出来うる事を考えずに人が自分の望みのために動いてくれる事を願い、他者に依存する事は違うのではないか、、、と感じることもある。
年齢ではない。
大切なのはその人が今、なにができないと思っていて、何ならできるのかを整理する事。
トレーナーやインストラクター、先生と言われる人たちは、人によっては依存を作り出す人がいる。
いや、相互依存をして、トレーナーやインストラクター達が自分の存在意義、存在価値を確認する為に依存を無意識に作っている事がある。
「あなたがいないと困るのよ」
「あなたがいるから大丈夫」
それが関係性の多くであるならば、関わり方を見直す必要がある、と感じている。
それでも人はある一定時期、依存が必要な事もある。でもそれをずっと続ける事は、誰のためにもならない。
自分の存在意義を、他者からの差し伸べられた手を掴み続ける事で認識するのではなく、自分で考える事から、つまりは考える問いかけ、考え方の方向性を一緒に見つけるのがトレーナーやインストラクターの役割なのでは、、、と。
パーソナルな空間で、パーソナルな心と体の悩みに直接接する存在であるトレーナーやインストラクターだからこそ、依存を作らない関わり方は絶対的に大切になる。
「あなたはなぜ考えるのか?」と問われたら、きっとこういうだろう、
「なぜなら私はこの世に生きているから、、、」と。
今回の出来事が、多くの人に様々な問いを生み、考えるという事を考える時間になるだろう。
答えは自分の中にある。
今見つけ出した答えが嫌いなら、自分が動いて違う答えを導き出すしかない。
同じところに違う答えは生まれてこないのだから。
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