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伝え方の2つの道筋~実践に勝る科学はない

梅雨の晴れ間はとても気持ちいいものです。


コロナ自粛の時間を過ごして、その前の自分の生活がいかに余裕がなかったものかを実感しています(お客様にも余裕が出てきた、、、といわれる始末、すみませぬ、、、苦笑)。こんなに机にむかえること、自宅で時間を過ごせることをどれだけ望んでいたことか、心から思います。あとはどうこれを継続させるか、、、です、苦笑


事あるごとに考える。

私の活動の強みはなんだろう、、、と。

私が本当に好きなことは何だろう、、、と。

言葉は悪いけど、基本的な知識があればある程度のリクエストにはこたえられるだけの柔軟性は身に着けてきた。相手の望むことを加味して表現できるようにはなってきた、でもまだまだ苦手なことも多く、もっとシンプルに伝えることができた、、、って思うことばかり。


プレゼンが上手な人をみると、本当に尊敬する。

どうすればあんな風にまとめて話せるんだろう、、、って。


伝え方には2つの道筋があると思う。

1つは、現在出ている様々な情報をまとめて、テーマに沿って組み立てていく。


もう一つは、自分の実体験から、それがいったい何を意味すると思うのか、をテーマに沿って組み立てていく。


前者が簡単なわけではない、様々な情報を精査して、より質の高い情報を相手の受け取りやすいようにまとめることは容易ではない。ただその情報は多くの場合、人が理解しやすくというか、実感と実益と科学的な分析や証明がなされていることが多いのではないだろうか。


一方で、後者は実体験をもとに、そこにあとから様々な理論や理屈、論点を掛け合わせ、組み合わせ、解釈を変えながら表現する。一歩ずれると、それはその人だけの論点になり、周りの人には理解されない。一方ではまると、その人たちにとってはインパクトのある内容となる。


イノベーションは物事の掛け合わせと言われる。

電話と音楽プレーヤーがかけあわさってiPhoneができたり、カメラと電話が組み合わさってiPhoneになったり(どんだけiPhoneだよ、、、)、電子レンジとオーブンが掛け合わさって、オーブンレンジになったり、物事の発展には、組み合わせ、掛け合わせ、今まであったものに異なる価値をつけることで起こってきた。


後者の言っていることは、今すぐには理解されないかもしれないし、証明もされないかもしれない。でも実践から出てきたものに嘘はない。そこには、その場には現実として存在するものがある。


なぜそんなことを思ったかというと、ここ最近ヨガ関連の文献や書籍を引っ張り出してきて読み直している。


ヨガ・スートラ

Light on Pranayama

バガヴァッド・ギーター

はっきり言って、博士論文を書いた時以上にまじめに読んでいる、苦笑

これらの書物の中には、その時代には誰も整理された情報、科学的に論じられるような内容で語ることはおそらくできなかったことがたくさん詰まっている。でも今この時代になって、この中に書かれているものを読むと、多くが科学的、または学術的にサポートできるものが出てきている。


実践に勝る科学はない。

そう思う。

実践なくして科学は語れない。

そうも思う。


そう考えたとき、私は何をどう伝えたいのか、、、そんなことを考えたこの2か月。


他人が論じたものよりも、自分が実感したものを大切に進んでいきたい。そしてそれはなんぞや?と考える、そんな人生をここまで過ごしてきて、きっとそれはこの先も変わらないのだろう、、、と思う。


今、誰かに理解されなくてもいい。

今、多くの人に支持されなくてもいい。

目の前の現象を、目の前の問題を一つ一つ丁寧に追いかけ、そこで私が何を思い、仲間がどう思い、何を考え、どう表現するか、それを大切にする。


そんなところに行きついた朝。


人は自分の満足のために生きればいい。それがきっと誰かのためになると信じて。






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