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言葉に優しさを、心に愛を

安倍首相が任期半ばで内閣総理大臣の職を辞したニュースが流れる。

テレビはほとんど見ないから、FB、Twitter、そしてネットニュースで、それに関する報道やコメントなどを目にする。


ヘッドラインや様々な反応は、批判、非難も多くみられる。

同時に、理解を示す、ねぎらいの言葉も見る。

色々な反応を見るけど、全体としては今の日本の閉塞感を表しているのか、釈然としない反応が多い。


ある記事、コメントの中に、辞職を表明した会見で質問する記者達について、たった1名の記者しか、「お疲れさまでした、、、」という言葉がなかった、、、と書かれていた。


決して安倍首相推しでも、自民党推しでも、ほかの党推しでも、現内閣に手放しで賛同するわけでもないし、これまでの政策全てを知っているわけでもない私ですが、持病を持ってこのコロナ禍の現状の中、責務を果たしてきた人には、まずは「お疲れさまでした、、、」という気持ちを持っていたい。


彼がかかわる疑惑や様々な不明なこと、アベノミクスの是非、安倍政権の8年弱で日本が発展したかどうか、、、そんなことよりも先に、まずは「ありがとうございました」と、言える人間でありたい。


人はそれぞれが異なる意見を持っている。

人はそれぞれが異なる立場から物を見ている。

人はそれぞれが自分にとって、自分の身近な人にとって最適なことを選択したいと思っている。


その立場で、自己主張をするのはいい、意見を戦わせるのもいい、自分が望むものを手に入れるために、自分が行動を起こし、相手を論破したければすればいい。でもどうそれをするかは深く深く考えたほうがいい。


相手を叩きのめすために使ったその言葉は、自分をのちに叩きのめす。

相手を陥れるために使ったその方法で、自分が陥れられる。

相手の苦労を理解しようとしないのであれば、自分の苦労を人に理解してもらおうと思うのは矛盾している。

自分さえよければと思うなら、あなたは地球を傷つけている。


1億総表現者、、、みたいに、今までマスコミや一部の人しか持てなかった公共に発言をすることが、だれでもツールを持ちできる時代になってしまった。


発信する職業人としての基本的な教育もないままに、発信、発言のルールを知らずに、居酒屋の仲間内の飲みの会話や、カフェの女友達との会話が、そのまま駄々もれで世の中に流されている。


「納豆はしょうゆ入れる前に100回混ぜたほうがいいんだって!」(なににいいんだ?)の会話が、SNSを通して世界中に流れる時代になってしまった。で、どこの誰が言ったかわからないけど、知り合いの知り合いがシェアしていたことで、「そうなんだぁ」「100回混ぜるんだって、、、」という会話が広がっていくという恐ろしさよ。


話は戻るが、、、


発信素人である私たちは、時には間違うこともある。

文筆業のいろはを学んでいない(学校の作文や小論文とは違う)私たちができる唯一のことはどんな時でも、どんなテーマで話そうとも、「言葉に優しさを、そして心に愛を」持つことではないだろうか。


SNSで誹謗中傷をあびて亡くなった人に対して、なぜ最初に「命を絶ったあなたとそのご家族に、心よりご冥福をお祈りします」と、なぜ言えないのか。そのうえで、自分の勝手な意見を言えばいい。言ったところで、それがあなたの人生に何の得になるのかは知らないけど。


誹謗中傷が渦巻くこの世の中に、希望が生まれるとは思えない。

今の日本の政治は、日本の現実は、国民一人一人のそういった感情や行動が作り出していると考えてみたらどうだろうか?


語るなら、希望を語りたい。

聞くなら、あなたの願いを聞きたい。

歩むなら、明るい未来を歩きたい。


まずは、「ありがとう」「お疲れさまでした」

そのあとで、何が必要なのか、何が問題だったのか、そこから学んだことを語ればいい。


目に引くためのヘッドラインもいらない。

ノンフィクションなら事実だけを伝えればいい。

ニュースと妄想が一緒になる、そんなおかしな現状を変えるのは、私たち一人一人の心がけにある。


言葉に優しさを、心に愛を、、、

安倍首相、治癒が難しい持病を持った中、本当にお疲れさまでした。これ以上、悪化されないことを願っています。ありがとうございました。


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