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学びを続ける人と学びを止める人

人生とは学びの連続である。

動作学のオンラインサロンである「動作学プラネテス」内で、毎月本をリレーしている。6月に届いた本「何のために「学ぶ」のか」(ちくまプリマー新書)の中に、

「なぜ勉強するのか?という問いに対して、ギリシャの偉大な哲学者であり生物学者の祖でもあるアリストテレスは「三つの知識」を考えた。①生活の必要のための知(実用の知)、②快楽のための知、③学問的(理論的)な知である。」(本川達雄先生セクション 131ページ)

この3つの知を聞くと、人は学び続けるしかないじゃん、、、と思う。
実用の知はずっと続くであろうし、快楽のための知は旅をしたり、音楽を聴いたり、スポーツを楽しんだり、お花を選んだり、そんなことで必要になるだろうし。常に私たちは学んでいる、そこが前提にある。


今回書くのは、3番目にある学問的(理論的)な知のこと。

この学問的な知に関して、書籍では、
「アリストテレスが「高貴なる知」と呼ぶ「学問的な知」がある。アリストテレスの著書「形而上学」の冒頭には「すべての人は生まれながらにして知ることを欲する」と記されている。知ることは楽しみなんですね。知ることは安心への道でもある。自分がこの世の中でどういう位置を占めているのかを知ると安心できるが、逆に知らなければ不安が募る。知る楽しさをもとに、世界を知り、自分自身を知り、それによって世界の中での自分の位置を知る。これが学問の楽しさだ。」

そう、本川先生は語っている。


学びに楽しさを感じる人と、感じない人の違いは何だろうか?
学びを楽しくできる人と、学びを楽しくできない人の違いは何だろうか?


まず学ぶ上で前提として持っていたらいいと思うのは、
わからないを受け入れるということなように思う。

ただそのわからないのレベルをどこに設定するか、が学び続ける楽しさにつながるかどうか、に関係する気がする。

その問いについては、上に書いた書籍の中で、脳科学者の茂木健一郎さん(先生)が快楽ホルモンともいわれるドーパミンの働きと学びについて書いている部分にヒントがあるように思う。

「自分で自分に無理めの課題を設定してそれを超える」
そしてその自分で設定したことをクリアすると、ドーパミンが一番多く出る、つまりは快感が大きくなる。そしてそのドーパミンが分泌されて快感と感じた行動を人間は記憶として残して、その快感を再現しようと試みを繰り返し、時には失敗をしながらも、快感を得ようと神経回路が働き、その連鎖による神経回路のネットワークができあがり、物事の上達度が増していくメカニズムを「強化学習」という。(茂木健一郎先生セクション P110)「  」以降は私のまとめ。


快感と感じるとドーパミンが分泌されるのか、何かをクリアしたという感情が生まれたときにドーパミンが分泌されて快感が増大するのか、矢印がどちらか、、、は、どちらにも状況によって働くと思うが、重要なのは「自分でちょっと無理めの課題を設定する」ということになる。


そのためには、「簡単である」を学びの選択基準とするのは非常に危ういと思っている。


物事を学ぶとき、「難しい」ことを嫌う人がいる。
「わからない」を嫌がる人もいる。
「どうやったら簡単に理解できますか?」
「簡単に説明する方法ありますか?」

という人もいる。


私の答えは、「ない」なんですけど、
そこで大切になる姿勢は、「これは難しいものなんだ」と思うと同時に、「難しいということを知った自分がいる」ということ。

先に書いた本川先生の文章の最後に
「知る楽しさをもとに、世界を知り、自分自身を知り、それによって世界の中での自分の位置を知る。これが学問の楽しさだ。」

とある。

世界の誰かが言っている、その何かが難しいと知ったことで、自分の位置を知り、今私の世界がどういう風に成り立っているのかに気が付く。


世界の誰かが考えた何かのある部分を理解した自分がいると同時に、全く意味不明と感じる自分がいることにより、私がどのような世界によって作られているのかが見えてくる。


そしてもしそれに興味があるならば、ほんの少しだけ自分に無理な設定をして、それを学び、「aha!アハ!」体験がきた瞬間に、私たちの脳は大量のドーパミンを放出して、「学びってめちゃくちゃ楽しいじゃん!」となり、学びのとりこになっていくのだと思う。


そのためには、やはり学びの環境というのは重要で、「私がすでに分かっていること」だけ学ぶという環境は、自己の成長を減速させてしまうのではないだろうか。私と同じことを知っている人の輪の中だけにいると、私のaha!体験は起こらないのではないだろうか。そこでの会話は、きっと「そうそう」「そうだよねぇ~」「わっかるぅ~」って言葉の連続で、「それってどういうこと?」という会話は非常に少ない気がする。(あ、口調が完全に女子になっているのは、決して偏見ではありません、苦笑)


「わからないから学ばない」もとてももったいないことで、「なぜわからないかを学んでみる」というのも一つの姿勢な気がする。


結局、世の中わからないことだらけ。
結局、世の中難しいことだらけ。

だけどその中にある「あ、そういうことか!?(これも?が若干ついたりもするが)」という瞬間を積み上げた先に、見えてくる世界がある。


これは個人の観念だけど、人の心と体に接する役割をしている人間としては、学び続けることは絶対だと思っている。


解剖学や生理学を知れば、人や生命を知ったことにはならないし、私を知ることがあなたを知ることにもなるから、自分と向き合うことを避けては通れないと思っている。


A-Yogaを始めて、18年くらい経つけど、初期の段階から継続的な学びを課して、それを止めずにきたことは数少ない自分を褒める決断だったと思うし、その学びの環境を最大限にする意識を持っている認定者のみんなにも感謝しかない。


そして講師としていろいろな場面に立たせていただいている身としては、「この人意味不明なこと言って、わかんないし、何もわかっていない、最悪、、、。」と思わないで懐大きく受け止めてもらえたらうれしいなぁ、、、と思う。


そんな風に見える世界もある、そんな風に思う人もいるのか、、、と、自分の世界とのすり合わせをして、今の自分の世界を今一度見直す機会にしてもらえたらうれしいし(そういう話は嫌いとか、わかんないけど嫌いじゃない、、、とか、そのレベルでもいいと思う)、なによりそこにきっとお宝が眠っていると思うから。


ここから11月まではほんと突っ走りも突っ走りの日々が続きます。

A-Yoga Movement Coach養成の京都が修了し、認定者の夏合宿も終了したけど、A-Yoga Movement Coach養成の仙台、A-Yogaアドバンスのタッチムーブメントプログラムの東京と仙台。

その間に7月18日(月)ヨガジェネさんで、ヨガ動作学(オンライン)講座。


9月24日、25日は、パフォームベタージャパンさんのサミットで講義。


動画は第一回の時の様子


そして10月22日(土)、23日(日)は、去年初開催だった仙台でのLinkrease Festaにも登壇します。まだ講師陣は発表されていないようですので、ここで言っていいのか知らんけど、ま、いいでしょう、、、。

でも講師陣はめちゃくちゃ熱い人たちが、さらにメンツがパワーアップして集結します。しかも講師陣、全員泊り必須という稀なイベント。(受講者もほとんどの人が宿泊します)



動画は去年の様子。


ぜひぜひ学びの旅にDiveしましょう!





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