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守破離

7月末に50歳になった。

生きてきた数字をさほど意識して生きているわけではないが、40歳になったときとは違うなにかがそこには存在する。


30代は、20歳で経験してきたいろいろなことから少しずつ一つのテーマに焦点を置きたいものを意識しつつも、まだまだいろいろな事を経験していた10年。落ち着くつもりは毛頭なかった。このころはまだアメリカと日本を行ったり来たり。

30歳の中ごろから集中する方向が少しずつ見えてきて、30歳後半は40歳に向けての道筋が見えてきていた気がする。そろそろ落ち着いてなにかにじっくりと取り組みたい、、、と思ったのもこのころだったと思う。それでもまだ一か所に、、、とはいかなかったのもこのころ。


40歳になって、40代の10年で自分がそれまで積み上げてきたものを、より明確な形として作り上げていこうと思って過ごした。30代もそれなりに忙しかったが、40代の10年は20年分くらい、1週間で2週間分くらい時間を費やしたのではないか、、、と思うくらい、タスクに追われていたし、40代後半はこれいつ脳みそ破裂して倒れてもおかしくない、、、って思うような時間もあった。それは苦痛ではなかったけど、でもどこかでスローダウンしたい、、、と願う自分もいた。


そこにコロナちゃんが来て、望むも望まずもスローダウンのタイミングが訪れ、50歳の声を聴いた。実際には、自宅で過ごせる時間が増えただけで、頭のスピードやタスクの量はそう変わってはいない。というか、頭の使い方が少し変わったことで、余計に脳みそはフル活動であることは確か。


50歳になって感じているのは、自分自身の、、、というよりは、自分がこれまでやってきたこととこれからへの意識が変わってきている気がする。


テーマに書いた、守破離。

これはデジタル大辞泉によると、

「剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。

「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。

「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。

「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。」


これは、ある個人が師を持ち学ぶ過程での道筋を表している。


30代の前半、新体操の国際会議に通訳で帯同させていただいたときに、東京女子体育大学の加茂佳子先生が「上の人間は、いつでも一線から退く心持はある。そして下の人間は上の人間を越える気概を持って努力してほしい。」


ちょっとだけ寂しげな目で後輩の先生たちを遠めに見ながら、私に語ってくれたその言葉と表情はずっと私の中に残っている。その時はその言葉の意味を深くは受け取れなかったけど、その言葉は30代の私に「常に先人を追い抜くつもりで日々生きる」という気持ちにさせてくれたのを覚えている。


そして40代、株式会社リーチの鴨井さんに「優れたリーダーとは、自分を超えるリーダーを育てる人。」ということを言われたことがある。40代は常にそれを意識していた。


「私を超えるリーダーを一人でも育てること、そのために私ができることは何か、、、」と。


そして50代。

40代で積み上げて、作り上げてきたと思っていたもの、それを一度壊したい気持ちが渦巻く。


そんな時に浮かんできた言葉が「守破離」

上に書いたように、この言葉は師弟関係の中での関係性の変化を表現している。


でもそれは一個人が自分自身の人生の取り組みに関しても当てはまるものではないのかなぁ、、、って。


守となる一つの入り口があり(私であればアスレティックトレーナーとしての学び)

破として新しい世界との出会いがあり(フェルデンクライスやヨガ、様々な分野の学び)

そして離へ。


私にはある意味A-Yogaという独自の新しいものとも言える形があるが、きっとそこからも離れた、別の何かがあるのかもしれない


昨日、スタッフの一人とオンラインでミーティングをしていて、ふと「一度ここまで積み上げてきたものを解体したい、、、」と、素直に心の中にあるものを口にしてみた。彼女はそれを静かに受け止めてくれて、私の問いに答えてくれた。一度自分で口にしてみて、聞こえてきたもう一つの声。「今ではないね、、、」と。ただ50代は、一度は何かを破壊・解体することが未来に必要だという実感はある。


動作学のポッドキャストで、隆君と太市がいつも言う「前提を変えてみる」

今こそ、色々な前提を変えてみることが、未来のために必要なのだ、、、と感じる。


諸行無常というが、何一つなにも同じままでいることはない。

常になにか変わり動いている。


40代の後半は、「どうすればもっと人は心も体も豊かに生きられるのだろうか、、、」と思ってその道筋を探していた。でもなにかがしっくり来ていない気がしていた。自分が取り組んでいることの方向性がどこかピントが合っていない気がしていた。「何かを変える必要がある、、、」と。


50代は「人はすでに豊かである」と前提をひっくり返して物事を見て未来を作っていこうと決めた。(これにたどり着かせてくれた、霜越君にサンキュー)


FBでつぶやいた私の言葉に、霜越君が

「もともと豊かなんですよ🌈✨
腹筋がもともと割れているように。

脂肪が後から怠惰でついてきちゃったんです」

(彼はキン肉マンなので、色々表現が筋肉です、笑)

で、これで納得する私も私ですが、私にはこれで十分答えが見えたのです。


これからの未来は、何かを足すのではなく、一人ひとりにとって余分なものをそぎ落として、本当に必要なもの、それを探す旅を一緒にできることが大切なのだ、、、と。


A-Yogaはこれまでもそこを意識してはいたけど、もっともっとそこを突き詰めて、個の大事なもの、本質を突き詰めることに意識を向けていきたいと思う。


A-Yogaというグループを作り16年近く。多くの仲間と学び、16年共に歩んでいる人もいれば、途中で他の道を進んだ人たちもいる。それが人生。私は常にここにいる、ということだけは伝えているし、そう思っていてもらいたいと思っている。人は常に道の岐路に立ち、それぞれの選択をする。それはその人が思う自分にとっての最良の選択。私は常にそれを応援してあげたいと思う。その姿勢はこれからも変わらない。これまで出会ってきた様々なお客様も同じ。


出会った人たちが、それぞれの道で多くの人の光となってくれていればと常に思う。その一端に私がかかわれていたのであればうれしく思う。


お互いがお互いの人生での「守破離」の存在であること。

そうあれば未来は明るく、世界は美しい。


Thank you for all your being.


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