悪魔の舌 村山槐多

こんなことをしてみたい。あんなこともしてみたい。そんな願いは禁止されることによって激しい欲望に変わる。

自分はある宴会で金子に出会う。その口元は特徴的で、悪魔のようなものだった。二つの緑青の棒が、常にびくびく動いている。食事をするときなど、更に壮観。その有様に見惚れるほどである。

ある日、金子から電報が届く。「クダンサカ三〇一 カネコ」。待ち合わせだと思い九段坂へ行くが、彼は来ない。九段坂近くにある、彼の家へと向かう。

彼の家に着くと、入り口に警察官がいる。驚いたことに、彼は自殺をしたのである。自分は電報の通りに九段坂へ行き、そこで遺書を見つける。遺書を読んだ後、彼は人間ではなく、悪魔であるのだと知り戦慄する。そんな遺書の中身を発表するのがこのお話。

金子の遺書の冒頭の引用。

「友よ、俺は死ぬ事に定めた。俺は吾心臓を刺す為に火箸を針の様にけづつてしまつた。君がこの文書を読む時は既に俺の生命の終つた時であらう。君は君の友として選んだ一詩人が実に類例のない恐ろしい罪人であつた事を以上の記述に依つて発見するであらう。そして俺と友たりし事を恥ぢ怒るであらう。が願はくば吾死屍を憎む前に先づ此を哀れんで呉れ、俺は実に哀む可き人間であるのだ。さらば吾汚れたる経歴を隠す所なく記述し行く事にしよう。」

金子は飛騨の山間に生まれ育つ。材木商人の父とその妾の子として。右足に三日月の形をした斑紋を持った本妻の子、自分の義理の弟は、その奇妙な印が村中で大変噂になったそうだ。弟が生まれた年に父は亡くなる。父は妾と妾の子だからと、その身を案じ二人にも財産を遺す。それだけあれば十分二人で生活が出来る程に。

十八の時に母が死ぬ。聡明な人だったそうだ。それ以来、十分な金を持った金子は名ばかりの詩人として生きていく。

金子は子供の頃から変わっていた。ぼんやりと雲を眺めるロマンティックな性質を持った子供だった。しかし、それは段々と病的になる。変わったものが食べたくなるのだ。はじめは土壁、特に白壁を好んだ。ある時食べすぎて壁に穴が開いてしまった。そのときから、ばれないようにそっと食べることに興味を覚えた。ナメクジ、蛙、ミミズや地蟲、不思議と腹をくださなかった。

子供の頃の悪習は止んでいたのだが、母の死の寂しさをきっかけに蘇る。そんなときに、悪魔と出会う。「貴様の舌は悪魔の舌だ。悪魔の舌は悪魔の食物でなければ満足は出来ぬぞ。食へすべてを食へ、そして悪魔の食物を見つけろ。それでなければ、貴様の味覚は永劫満足出来まい。」

色々な生き物を食べた。食べるものはドロドロに腐るほど美味しい。その内血色は緑紅色になった。そして、こんな欲望が燃え上がる。

「人間が食いたい。」

それからというもの、夢にも人肉を見るようになった。そのたびに葛藤する。

「いや俺は決して人肉は食はぬ。俺はコンゴーの土人ではない。善き日本人の一人だ。」

しかし、かの悪魔はそんな彼の葛藤を冷笑していた。

ある夜、墓場に行き死体を掘り起こす。その一部を切り取り家に持ち帰る。ここからは引用。

「家へ這入るとすつかり戸締りをしてさてハンカチーフから肉を取り出した。先づ頬ぺたの肉を火に焼いた。一種の実にいゝ香が放散し始めた。俺は狂喜した。肉はじり/\と焼けて行く。悪魔の舌は躍り跳ねた。唾液がだく/\と口中に溢れて来た、耐らなくなつて半焼けの肉片を一口にほほばつた。此刹那俺はまるで阿片にでも酔つた様な恍惚に沈んだ。こんな美味なる物がこの現実世界に存在して居たと云ふことは実に奇蹟だ。是を食はないでまたと居られようか。『悪魔の食物』が遂に見つかつた。俺の舌は久しくも実に是を要求して居たのだ。人肉を要求して居たのだ。あゝ遂に発見した。次に乳房を噛んだ。まるで電気に打たれたやうに室中を躍り廻つた。すつかり食ひ尽すと胃袋は一杯になつた。生れて始めて俺は食事によつて満足したのであつた。」

作者の村山槐多さんは絵描きです。しかも早逝していますから、発表した小説が少ない。後半部分はここでは書きません。興味が出た方は是非ご自身の目で、頭でお確かめください。

『悪魔の舌』村山槐多 https://www.aozora.gr.jp/cards/000014/files/12_22757.html

青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/