五重塔 幸田露伴

読み慣れた中世の古文とも、現代の書き言葉とも違う、言文一致体で書かれていない小説。読むのに骨を折るけれど、それでも読んで本当に良かった。

興味のある方は粗筋をもとに読むことをおすすめします。是非、幸田露伴の作る文章を楽しんでみてください。


主人公は「のつそり」こと十兵衛。あだ名の由来は仕事の仕方から。丁寧に仕事をし腕もあるが、期日に間に合わないことも。大きな仕事をさせてもらえず、親方の源太からまわしてもらう小さな仕事をして生計を立てる。

ある日感応寺に五重塔を建てる計画があることを知る。親方の源太がそれを受注し見積もりを出す算段まで来ていた。

十兵衛は感応寺の五重塔建立の話を耳にしてからというもの、心の内に燃え上がるものを感じていた。何やら怖ろしいもの(おそらく執着やエゴが形になったもの)から命じられる。「お前が五重塔をつくれ」と。

十兵衛は感応寺の上人、円道に直談判をしにいく。模型まで精巧に作ったその真っ直ぐさを円道は見抜き、源太と二人で上手くやるように命じる。

源太と十兵衛の間にはひと悶着、ふた悶着あったが、源太は江戸っ子を絵に描いたような人物であるため、十兵衛に仕事を譲る。

十兵衛は五重塔建立に取り掛かるが、それを快く思わない源太の弟子に襲われてしまい、片耳を失う。しかし、仕事はやめず遂に五重塔を完成させる。

その後、強烈な暴風雨に見舞われる。その描写を引用。

夜半の鐘の音の曇って平日(つね)には似つかず耳にきたなく聞こえしがそもそも、漸々(ぜんぜん)あやしき風吹きだして、眠れる児童(こども)も我知らず夜具踏み脱ぐほど時候生暖かくなるにつれ、雨戸のがたつく響き烈(はげ)しくなりまさり、闇に揉まるる松柏の梢に天魔の号(さけ)びものすごくも、人の心の平和を奪え平和を奪え、浮世の栄華に誇れる奴らの胆を破れや睡りを攪(みだ)せや、愚物の胸に血の濤(なみ)打たせよ、偽物の面の紅き色奪れ、斧持てる者斧を揮え、矛持てるもの矛を揮え、汝らが鋭(と)剣は餓えたり汝ら剣に食をあたえよ、人の膏血(あぶら)はよき食なり汝ら剣にあくまで喰わせよ、あくまで人の膏膩(あぶら)を餌(か)えと、号令きびしく発するや否、猛風一陣どっと起って、斧をもつ夜叉矛もてる夜叉餓えたる剣もてる夜叉、皆一斉に暴れ出しぬ。~中略~あれに気づかいこれに案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さえもなくされて悲しむものを見ては喜び、いよいよ図に乗り狼藉のあらん限りを逞しゅうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。

五重塔は大きく揺れる。付近でも様々な被害が出る。そんな暴風雨の中、十兵衛は、もしこの塔に何かあったら責任を取って死ぬ、という。そして五重塔の五層目から出てくる十兵衛の描写。この部分も素晴らしいので引用。

上りつめたる第五層の戸を押し明けて今しもぬっと十兵衛半身あらわせば、礫(こいし)を投ぐるがごとき暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までもちぎらんばかりに猛風の呼吸(いき)さえさせず吹きかくるに、思わず一足退きしが屈せず奮って立ち出でつ、欄を握んできっと睥(にら)めば天(そら)は五月(さつき)の闇より黒く、ただ囂々(ごうごう)たる風の音のみ宇宙に充ちて物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳(そび)えたれば、どうどうどっと風の来るたびゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるる棚なし小舟(おぶね)のあわや傾覆らん風情、さすが覚悟を極めたりしもまた今さらにおもわれて、一期の大事死生の岐路(ちまた)と八万四千の身の毛よだたせ牙咬みしめて眼を睜(みは)り、いざその時はと手にして来し六分鑿の柄忘るるばかり引っ握んでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとわず塔の周囲(めぐり)を幾たびとなく徘徊する、怪しの男一人ありけり。


暴風雨が去ったあと、釘一本緩まず、板一枚はがれなかった五重塔を見て、人々は十兵衛の仕事を賞賛する。

そして最後のシーン。

暴風雨のために準備(したく)狂いし落成式もいよいよ済みし日、上人わざわざ源太を召(よ)びたまいて十兵衛とともに塔に上られ、心あって雛僧(こぞう)に持たせられしお筆に墨汁(すみ)したたか含ませ、我この塔に銘じて得させん、十兵衛も見よ源太も見よと宣いつつ、江都の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す、年月日とぞ筆太に記しおわられ、満面に笑みを湛えて振り顧りたまえば、両人ともに言葉なくただ平伏して拝謝(おが)みけるが、それより宝塔長(とこしな)えに天に聳(そび)えて、西より瞻(み)れば飛檐(ひえん)ある時素月を吐き、東より望めば勾欄夕べに紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚(はなし)は活きて遺りける。


この作品の素晴らしいところの一つは、源太の潔い江戸っ子ぶり。

江戸っ子の条件は山東京伝によってこう言われています。

①江戸城の鯱を見て、水道の水を産湯とした。②宵越しの銭は持たない。③食べ物や遊び道具が贅沢。④生粋の江戸の生え抜き⑤いきとはりを本領とする。

しかし、ここで疑問が生じる。確かに源太は潔い江戸っ子だが、主人公ではないという点。なぜ源太を主人公にしなかったのか。

幸田露伴は尾崎紅葉とともに「擬古典主義」と分類されます。海外の文学作品が明治になってどっと入ってきて、文学がその影響を受ける中、「日本に昔からある作品を大切にする」という作家たちです。幸田露伴はその中の一人。文学作品は社会の影響を色濃く残します。『小説神髄』坪内逍遥や『蟹工船』小林多喜二など、「社会の中での文学」という色が作品の中やその流れなどに見られるということです。

だとしたら、擬古典主義なのだから、源太が主人公にはうってつけの人物です。なぜその源太を主人公に据えなかったか。そこに幸田露伴の葛藤があると考えました。

どんな時代にも懐古主義の考え方の人はいます。「昔は良かったね」と考える人たちです。そしてそのような人たちは「時代遅れ」の人間としてひとくくりにされます。そうすると彼等は時代にそぐわないと判断され、届けたい言葉が届かなくなる。源太を主人公にすると確かに江戸時代の良さを表現する「江戸っ子」ストーリーを作ることは出来ますが、ただの懐古主義で終わってしまうと思うのです。

自分の理想「擬古典」と時代の流れの両立をはかった幸田露伴の苦労の結晶がこの作品であると考えると、一層この作品に愛着がわいたので、拙いながらも一つの提案をさせていただきます。