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ごまめ

"ごまめ"とは 大阪でも一部の下町で使われていた方言

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四人兄弟の末っ子で 4つ年上の兄には よく泣かされていた。

だから特別扱いしてくれる「よそ」のお兄さんお姉さんが大好きだった。中でも「(孝夫)たかお兄ちゃんと彼女のますみちゃん」は別格に大好きで、人生で初のステーキを食べさせてくれたり、衝撃の食文化であったサラダバーなる異次元を体験をさせてくれた2人だ。

今でも頼んだメニューはしっかり覚えていて「ヤングステーキ」という名前だった。なんて素敵な響きだろう。興奮しすぎて味はまったく覚えていない。

サラダバーで唯一のフルーツはパイナップルのみで「お前は戦後の子供か?」ってくらいパイナップルを山のように盛っては食い、盛っては食いを3セットこなし、舌に穴あくほどチクチク痛くなったのを覚えている。 

たくさんの恩があるにも関わらず、独りで妄想する時には「ますみちゃん」が私の彼女なって頭の中でイングリモングリしていた。子供ながらに最低だなぁと今になって悪く思う。

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ある年のお正月、初詣で京都の八坂神社に行った。人混みで私が迷子にならぬよう、ますみちゃんがずっと手を繋いでくれていた。小3だった私が鼻血出そうになるほど興奮してると たかお兄ちゃんは次の興奮を畳み掛けてくる。

露店の焼きそば屋に入ったのだ

当時、生前の父は「屋台は不衛生なんや、あんなもん食べたらあたるぞ」と言い、祭りや縁日に行っても露店の食べ物は絶対買ってくれなかった。

それだけに一度でいいから食べてみたかった露店の焼きそばが、たかお兄ちゃんと一緒なら こんなにもあっさりと食べれるのか、、やっぱりたかお兄ちゃんすごいぞ!

紅白の横断幕で囲われた露店に入ると中にテーブル2台と長椅子が並んでいて入り口横の席に腰掛けた。初めて入る露店に興奮して焼きそばが来るまでもが至福の時間だ。

ところが、
店のおじさんがテーブルにポンと置いた「焼きそば」はツーンっと消毒液の匂いがして とにかく不味かったのをはっきり覚えている。

たかお兄ちゃんは 消毒焼きそばをズズズッ~とひと口すすった瞬間「おい、いくぞ!」と突然席を立って神社の方に早歩きで進んでいった。

あれ?お、お金払ってないよね?

何かを察知したますみちゃんはすぐに私の手を引き ケタケタと笑いながら たかお兄ちゃんの後を追う。これが人生初の「食い逃げ」だった。

私はドキドキしながら何回も後ろを振り返り、屋台のおじさんが追いかけてきたら全力で逃げる準備をしていたので完全に共犯者でもある。

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今思うと たかお兄ちゃんとますみちゃんは バリバリのヤンキーだった。何故なら たかお兄ちゃんはキツ目のパーマをあてていたし、嘉門達夫の唄にある婦人用のサンダルを履いていた。

あの時、もし屋台のおじさんが全速力で追いかけてきていたら、 たかお兄ちゃんは踵が後ろにはみ出た22cmの婦人用サンダルで逃げ切れたのだろうか?

そういや たかお兄ちゃんが走った姿は一度も見たことがない。

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ハチャメチャな たかお兄ちゃんと私の関係性は意外にも遠縁だった。

歳の離れた兄(長男)の友人で「はっちゃん」という人がいた。たかお兄ちゃんは、はっちゃんの弟だった。はっちゃんは秀才の優等生で、たかお兄ちゃんはヤンキー。どういった経緯で私を可愛がってくれたのかはわからない。

でも当時の私にとっては紛れもなく憧れの存在で、大人になったらこういう大人になりたいと本当に願っていた。

あれから40年も生きていると、とっくの昔に 当時のたかお兄ちゃんよりも歳を取っていた。

たかお兄ちゃん 元気ですか? お陰で今でも小さな子供にはついつい ごまめ扱いをしてしまう自分がここにいます。

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ごまめ
大目に見られる子。一人前ではないが仲間に混じる子。子供が遊ぶとき、必ず兄弟の上の子は下の子をお守りする時代背景があり、幼い子は遊びのルールはあってない扱いに。鬼ごっこではタッチされてもオニにならなくてもよいといった具合。
(全国大阪弁普及協会より引用)

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