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エッセー「昭和元禄 コカ・コーラの思い出」

 人生で初めてコカ・コーラを口にしたのは確か幼稚園の頃、昭和39年(1964年)あたりだったと記憶している。

 その日は父親と祖父を除く家族全員で「バッキー白片とアロハハワイアンズ」の実演(ショー)を観るため、有楽町の日劇(現在のマリオン)に出掛けた。

 いわゆる「コークボトル」に入った黒い液体は、その会場で大々的に販売されていた。

 昭和39年と言えば、「3杯飲んでもまだあまる!」の名コピーで有名な500mmℓ入りの「ホームサイズ」が発売された年(確か価格は50円だったような気が・・)。

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 当時のコーラ業界は、コカ・コーラとペプシコーラの2強が日本市場でシェア合戦を繰り広げた熱い時代。そんな中、国内シェア増大を狙うコカ・コーラは、東京都内の歓楽街や大劇場を中心に積極的な販売促進キャペーンを展開していた。

 もちろん、当時は超人気スポットであり、日本を代表する大劇場であった日劇でもキャンペーンが行われていた。

 時は1ドル=360円の固定為替レートの時代、コカ・コーラはまさに「高値の華」(それでも市販価格は35円)。

 しかし時代は高度成長期。この時の日本人は皆「将来は明るい未来は待っている」と裏付けの無い確信を持ち、自信に満ち溢れていた。

 財布の中身よりも好奇心が勝り、舶来のコーラなる物を飲むべ~、ということで日劇内の特設販売コーナーは黒山の人だかり。

 アグレッシブな母親が人並をかき分けて買って来たセクスィ~なボトル、子供ながらに胸がときめいた。

 年功序列で回し飲みされたボトルがいよいよ自分に廻ってきた。高まる期待感!

 ボトルに口をつけるや否やゴックンと飲み込んだのが運の尽き、炭酸など知らない幼稚園児にとってコカ・コーラの刺激はあまりにも強烈過ぎた。

 初めて経験する痛みにも似たグルーブ感に、目からは涙、鼻からは鼻水! それはもう惨憺たる有り様だった。

 あれから約半世紀。今でもコカ・コーラを飲むたびに当時の刺激を思い出す。



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