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映画版『CATS』という傑作

The Beat記者「キャッツはゴミ映画である。犬の生誕以来、猫にとって最悪の出来事だ」
Polygon記者「キャッツとは、第三の目が開きアストラル界を覗き込むことができるようになるような幻覚体験である」
ハリウッドリポーター記者「キャッツは今年見た中で一番酷い映画だ。あまりに醜い映画だったので、記憶から消せないかと願うほどだ」

日本公開前からとんでもない海外評論が漏れ聞こえ、私は愕然とした。なぜならドラマーとして、非常に優秀な演者達と共にミュージカル『CATS』を取り上げ、2014年以降数回に渡り公演を行なってきたからだ。つまり、劇中の楽曲に対して、「好き」どころか「演奏できる」ほどに血肉化していると自負している。楽曲だけではない。脚本から舞台監督、背景映像やナレーション原稿まで全てを担当したため、物語に関しても理解が深いつもりである。今回のトム・フーパー監督による映画化にはめちゃくちゃ期待していた。『英国王のスピーチ』良かったし、『レ・ミゼラブル』はもっと良かった。そこに突き刺さる酷評の嵐。

鑑賞後、私はホッとした。間違いなく傑作だった。
同時に酷評の理由もはっきりした。監督の作家性、過去楽曲との対比、劇団四季ファンからの視点、全部書くと日が暮れる。
今回は「鑑賞段階での本作に関する各個人のリテラシー問題」の観点からのみできるだけ簡潔に書いてみる。

そもそも『CATS』にはストーリーがない。それぞれの猫が自己紹介をしていくだけの話だ。その点に関しては、いろんな方が記事を残している。
しかし、その自己紹介の中に隠された裏テーマに言及しているテキストは見かけない。端的にいうと「暗闇からの光、夜を越えて訪れる新しい朝、そして過去からの未来」である。
ジェリクルキャッツをセレクトする舞踏会は夜に開催される。見上げれば、満月。映画版でも月光が誰のスポットライトとなるかが巧妙に計算されている。朝が来て、物語が終わる。選ばれしものは光に吸い込まれていく(『オペラ座の怪人』へのオマージュがさらに裏裏テーマになっている点は、、、割愛!)。
鉄道猫・スキンブルシャンクスは夜行列車のコンシェルジュ。寝台列車は暗闇を駆け抜け、朝に向かって走る。劇団四季は分かりやすくこう訳し歌っている。「夢見るうちに 聞こえてくるよ 明日の訪れ」「暗闇の向こうに霞んで見えるやさしい街あかり」。
劇場猫のガスは昔の当たり役が忘れられず、過去の栄光を語って聞かせる。映画版ではその当たり役グロールタイガーはなぜか悪者だが。映画版のグリザベラもまた過去の華やかな時代の感覚が忘れられず(娼婦設定はカット!)、それを振り切るきっかけを待っている。ヴィクトリアはグリザベラのその過去を尊敬を込めて「beautiful ghost」と歌う。

裏テーマを知っていると映画が輝き出す。ノーランの『ダークナイト』に対し賛否が分かれたがジョン・ミルトンの『失楽園』を読んでいるかどうかが大きかった。町山先生も仰っていたが、フィギュアスケートのルールを少し勉強してからみると競技が一気に面白くなる。私も「こんなの演技時間中にクネクネ踊らずひたすら助走→回転を繰り返せばとんでもなく高い点数になるんじゃないか」と思っていたが、どうやらそうではないらしい。

映画版で残念な箇所も色々あった。一流のダンスが繰り広げられているのにカットが多い、そして、CGが各所に多用されているため本当に凄いダンスなのかわからない。スキンブルはバレエダンサーのようにその場で器用に美しく回転、私はその身体性に目を見開いたが、直後そのまま空中に浮かび上がってしまった。ヴィクトリアが20分に1回、甘く不思議そうな顔をする。グリザベラがそんなに汚くない。猫と背景セットとの比率が統一されていない。ミストフェリーズの有名な後奏が全カット!猫達が後半、もういいやぁって感じで普通に立ってる。『ペーパームーン』みたいにテイラー・スウィフトが三日月に乗って現れるが、私には一休さんのエンディングに見えた!それはいいか。

しかし、もう一度、言う。これは傑作だ。
やはりミュージカルとしての楽曲がかなりかっこいい。ラムタムなんかもベースがバキバキで素晴らしい。ジェニエニ・ドッツの後奏ビッグバンドのアレンジも今っぽくて、また何と言っても「Memory」がヤバい。レミゼのアン・ハサウェイ再びといった感じ。
愛しすぎてまだまだ書きたいが、この辺にしておく。
それほど大好きで愛着ある作品が、一流のキャストによって再構築されたことに心から感謝します。2020年は最高だ。サントラを聴きながら、ドラムセットにシットインしたい。本当にありがとう。
けど、まぁ『パラサイト』の方が好きかな!

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