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愛車遍歴(その1)

物心がついたころから、本棚にあった自動車雑誌を読んで文字を覚えた少年の、クルマにまつわるお話の、はじまり、はじまり!

話は、私が母のおなかにいる時にさかのぼる。
流産のリスクがあった母は、予定日よりも早めに産院に入院。

父のクルマは、『ボロ・ボロ・ボロロ』と独特の排気音をしたおかげで、病室でお見舞いに来たことがわかり、おなかの子に「お父さん来るよ!」といえば、おなかの中を元気に動いていたらしいから、よっぽど英才教育されたんだろうと思う。

退院するときには、そのクルマにのって、自宅に帰ったのだが、これが生まれて初めて乗ったクルマになる。

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そのクルマは、スバル・レオーネ(1400DL)である。

今のインプレッサ同様、水平対向エンジンを縦置きにして、前輪を駆動するFF車であり、当時の流行のマスタング系ルックスの2ドア車であった。
ライバルは、以下、日産バイオレットやトヨタカリーナである。

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(日産バイオレット)

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(トヨタカリーナ)

が、この車を買った父親は、カリーナの兄弟車で、スペシャリティーカーのセリカ

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と、カローラ

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のちょうど間の値段で、ということで、レオーネにしたらしい。

勤め先が芙蓉グループということもあり、サニーも検討するにはしたらしいが、当時まだ三角窓があって、あまりにも古臭いデザインに、サニーはやめたという。

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当時、マイナーだったスバルを買ったのは、その前に乗っていたクルマが親戚から安く手に入れたスバル1000で、「雪に強い」クルマだったからだと聞いているが、下取りも条件が良かったこともあるかと思う。

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なにより、エンジニアである父にしてみれば、FF車という新しい乗り物が琴線に触れたのではないかと思う。

それから、40年後の2013年、次女の誕生とともに、わたしもスバルを手にすることになるのだから、おなかで聴いたボクサーサウンドたるや、おそるべしである。

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私にとって、スバルは決して速いクルマだとか、スポーティーなクルマというイメージはなく、「愚直なまでにまじめで安全なクルマ」という想いがあるのは、父親のスバル観によるのかもしれない。

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