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時代は流れる。

紅葉が揺れる丸亀城の高い高い石垣の裾で、高校生の陸上部がトレーニングに励んでいる。後ろ向きで坂道を駆けていく。苦しそうに、でも笑いながら、死ぬ―!なんて叫びながら。足取り軽くて、ちっとも死にそうじゃない。その姿は、見てるこちらが笑ってしまうほど爽やかだ。

普通に歩くだけでも、登り切った時には膝が笑う急坂。かつては敵軍を苦しめたであろう、この丸亀城の急坂。敵の心を折るための策だったものを、今は和気あいあいと子どもたちが身体を鍛えるために使う。

「なんか、いい景色」
「歴史ある場所で部活。のどかでいいねえ」
「うん、東京の観光地だったら苦情がくるよね」

女三人での1年ぶりの四国旅。今、私たちの住まいは東京だったり関西だったりするけれど、出身地は全員が北海道だ。

★★★

道産子の私は「古いもの」に対する免疫が異様に低い。

アイヌの人たちが住む蝦夷地に、和人と言われる私たちの先祖が住み始めたのは室町時代。函館には北海道唯一の城、松前城があるけれど札幌の都市部で育った私にとって、その歴史はさほど身近なものではなかった。実際に松前城を見た際にも「開拓史で勉強したっけ」とその程度。私が一番印象に残っている北海道の歴史人物は「松浦武四郎」。やはり幕末以降の人だ。
高校時代の日本史の教科書ですら、松前藩にふれるのはほんの数行の説明と囲みコラムだけだった記憶がある。

子どもが持つあまりあてにならない感覚だけれども、私にとっての北海道の歴史は、アイヌの伝統と開拓民の働きに重きが置かれていた。もしかしたら檜山地方育ちだと、少しは違ったのかもしれない。

さらに、函館や札幌近郊に残る有名な古い建物の多くが明治以降のもの。いわゆる文明開化の流行りで建てられた文化住宅が多く、そこには戦国時代の激しい歴史は刻まれていない。

私は大人になり本州の各地を訪れるようになってから、松前城の比ではない「古いもの」を初めて目の当たりにした。茶人が愛用したとされる茶碗の展示、放たれた矢の跡が残るといわれのある神社の鳥居、大阪城築城のために石を切り崩した岩肌が残る瀬戸内に浮かぶ島。
教科書に記された時代は本当にあったのだ。二十代の私は鳥肌を立てた。文字通りのカルチャーショックだ。

★★★

私が現在の居住地、岡山へ初めて夫と訪れた時のこと。

「ここらへんはね、秀吉の水攻めの跡地」

当時は恋人だった夫が、初めて岡山の地へ訪れた私に説明する。
「水攻めってなんだっけ…?」
戦国史に興味がなかった私は、水攻めと聞いてもすぐにはピンとこなかった。運転中の夫は、私にわかるようにかいつまんで備中高松城の戦いを説明する。男の人って、戦国時代が好きだよなあと私は彼の話をボンヤリと聞いていた。「水攻めの最中に本能寺の変が起こった」というくだりを聞いて、時代背景がやっと理解できた。へえ、そうだったのか。

かつては秀吉の水攻めで苦しんだ備中高松城の跡地付近は、今は田んぼが光り、畑が青く茂る。水攻め当時、流れを押し曲げられてまで毛利軍を苦しめた足守川は今は穏やかに流れ、付近の田畑の水源となっている。

戦国時代、争いの渦中にあったこの地には平和に日常が流れる。

助手席から流れゆくのどかな吉備の景色をながめながら「そういうの、不思議だねえ。今、ここで生きてるのって不思議だねえ」と私が呑気に答えると、彼は少し笑って「ミユちゃんのそういうところがいいよねえ」と相槌を打った。

★★★

私たち夫婦の歴史はたかだが15年。

それでも、だ。
この15年間で、ふたりの関係性はずいぶんと変化してきた。

子どもが生まれた時、母になったばかりの私は赤ん坊を前に戦々恐々とし、あなたは慣れない部署で深夜まで働き休日は死んだように眠っていた。どうして察してくれないのと心の中で憤る私と、言ってくれなきゃわからないしと諦めるあなた。ケンカにならないはずがなかった。

私とあなたの歴史の中で、戦国時代は間違いなくあの頃だと思う。この15年間でいちばん諍いが多かったのもあの時期だろう。何度となく和睦を交わしても、繰り返し現れる怒りの火種。
あの余裕のなさは、一体なんだったんだろう。相手の苦労を慮らなくなり、自分の大変さだけを相手に押し付けた。

それなのに今は。

けんかとはどうやって起こるものなのか。火種は、探しても探しても見つからない。察して欲しいとばかり考えていた私は、あなたに素直に言葉をかけるようになった。言ってくれなきゃわからないとごちていたあなたは、私にどうしたらいい?と素直に尋ねるようになった。

子どもたちが寝静まった夜に、ふたりでコーヒーを楽しみながらゆっくり話すことも増えた。日頃の報告をした後、きまって昔はよくけんかしたよねえと、ほんの15年前の自分たちをお互いに懐かしむ。
「今は仲いいよね。我ながらね。そういうのっていいよねえ」と私。
「ミユちゃんのそういうところがいいよねえ」と夫。

これから先の15年、20年もこのまま穏やかに暮らせるだろうか。それともまた戦国の世が訪れるだろうか。もしもまた戦乱に陥るようなことになっても、和睦を繰り返していつのまにか笑えるようになればいいと思うのだ。

時代は繰り返す、そして流れていく。
家族の形も変わっていく。


2019年の終わりに、ふと考えたこと。











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