20190208 日記

興味を与えるということは私の本質で、私は興味を撒くことで寄生先を探している。私自身を放ってそれに触れてくれた人と繋がることで私の憂いを散らそうとする。「憂いを散らす」と同一線上に「楽しさ(喜び)を得る」がある。要は伝播共有です。なのでどうにかして私はそのラインに乗りたい。今はまだ乗れていない。現状、乗る乗らないどころではない。そのことは恐怖の種になっている。

私が中々に私の過ちを許そうとしない。私はもうだいぶ壊れてるのかもしれない。こんなに色々やって振り切れないのは生まれて初めてのことだし。ここでの一ヶ月も当然私を撒いている、ということなのだけど、全然物足りない。繋げ方が分からない。貪欲だよ、私は…自分で何とかしないといけないのは分かってるけれど結果が伴わない一ヶ月は辛い…元々引きずる性格だし何年も前の事で頭掻き毟りそうになるけれど一ヶ月沈み続けるのは流石に…どうしちまったんだ、私。

結果というのはスキをたくさん押されたりとか、フォロワーが増えたりとかそういうことも勿論あるのだけど、私の内面に変化が起きないということが最重要問題なのです。こんなことしてる間にも皆はどんどん進んでいく。あの娘に至っては今どこにいるのか。私は沼の底でただもがいてるだけだ。停滞。焦り。混乱。疲労。元々の孤立からさらに遅れ、取り残される自分。これに対する怒りも出てくるんだよ。どうしろって言うんだ…

一ヶ月こんなこと書いてきた気狂いにまだついて来てくれる?私には無理かもしれない。私はこの先自分の中に許しが得られるまではまだまだこんなこと書き続けるんだと思うけれど。

通常はTwitterでもブログでもここでも直接的な不平、愚痴の投稿は全投稿の多くて3割くらいなんじゃないかな、と思うのだけれど私は8割9割だからね…そりゃあ結果どうこうの話ではないよ…でこういったことを書いた後に少し心に隙間ができるけれど、そこに怒り、というか「そんなことで済むと思うなよ」の声が入り込んで…わ〜っ、ごめんなさい…ごめんなさい…てなる。それがこの一ヶ月の私で、これからの私もそうだと思うといずれ化物になるんだと思うのよ。罪の重さもそれに対するアクションも決めたのは私だから誰にどうこうできるものでもないのは分かってるのだけど…

でもTwitterをやっていた頃にはこういったことをフォロワーと共に上手く散らしていっている人たちがいたんだけどな…あの娘もそうだった。私にはそれがうまくいかなかった。いいとこイイねが2つ3つあるくらいだった。何がイイんだよ。

例えばアンケートをTwitterで投稿する。イイねがつくだけで回答数が増えない。何か尋ねてみる。イイねがつくだけで答えは得られない。相互のコミュニケーションを成立させることができない。何故だ。この下手くそ。

いかん…自己解決しなければね…