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わたしの退避場所

好きなことばは何ですか?
すぐに出てこないくらい忘れていました。
抱負にしようと決めたことばはあるのに、思い出せないってあんまりです。翌日も記憶をたどる時間だけが過ぎていき、やっと思い出したそのことばはニュートラル【neutral】でした中立的、中間的。いずれにもかたよらないさま、の意味。本当にスッキリしました。が、問題はここからです。

ニュートラルでいるために、自分を閉じないで見聞きしていくにはどうすれば良いのかを考えました。

異なる思想のひとの話を聴く。
遠い世界の成り立ちを知る。
身近な人と話す。

これは一部ですが、なかなかにむつかしいです。

好きな人となんでもない話をするのが心の健康には最適解で、賛同や理解を得られるとそれだけで満たされます。しかし、かたよってしまう気がするのです。好きの存在は、反対とされる嫌いの存在もみえたりします。いわゆるアンチですね。好きが良くて嫌いが悪いなんてことはないし、好きを正義に置き換えた途端に話がこじれるのかもしれません。ここが切り離せていると問題ないのですが、どうも行き過ぎると己の正義に話がすり替わっていくのを感じます。最近、ニュートラルを意識しなくなっていたのは、かたよっていた証拠ですね。日々、突きつけられるようなニュースなど、見ているだけで詳しくは知らないことばかり。あっという間に形を変え、もっと刺激のある内容が流れていきます。立ち止まって、ファクトを知り。考えるまでに至らない自分がいます。時間は有限ですから取捨選択の連続です。

相変わらず文章が硬いですよね。すみません。だけどもう少し続けてみます。

世情や社会問題だけではなくて、もっと身近な人間関係や仕事にこそニュートラルは必要な気がしています。
誰かの発言に揺り動かされるときはありませんか。
ほんの少しのひっかかり(違和感)さえも流してしまうことってあると思うんです。気づいた違和感の正体をどうしていますか。そこを話せる関係性ならば最強だと私はおもいます。否定でも肯定でもなく私見を置ける場所。そこがわたしの退避場所です。この退避ってことばもPCの会計ソフトで初めて知りました。会社の月次決算でデータ退避をさせる画面がでて、言われるがままに操作しながら、なんで退避って用語なんだろうと不思議に感じていました。税理士チェックで問題があるとデータ復元をして終了です。PC周りの苦手意識がずば抜けているのでそこは大いにかたよっていますね。言うは易し行うは難しです。ただ面白いことにニュートラルを意識するときは、どこかへ退避しているんです。そこは自分の外側にある島。


妄想や想像力が乏しく非常に現実主義の私と、冒頭の好きなことばのやりとりしてくれたのはダイアログデザイナーの嶋津さんです。想像力のかたまりのような方。


ひどく揺れ動いたときは、すぐ島に一時退避します。
そうすることで表面的にはリセットされるのです。
嬉しくてしあわせなものは暖かくて軽いので、そのうち大気になります。
つらく悲しいものは重くてドロドロした水が滴っており、なかなかなか乾ききりません。だけれどそれが養分となり、心の襞を豊かにしてくれます。知らぬ間に風化していく想いもある一方、かたよった本来の自分がいつまでもそこにいます。データばかりが集積し、そろそろ島が容量オーバーとなる前に「わたしが先に忘れよう」「手放そう」と思い立ったのが今年の抱負の始まりです。相手は忘れているのに自分だけがこだわっていることってありませんか?

ひとからみれば大したことのない些細なもの。譲れないもの。出会ったひとからの愛情。それが島をつくっています。よく訪れるので、ふかふかとした苔が自生するような退避場所にしたいなとおもっています。それすら忘れてしまうのかもしれません。

ぐらぐらする自分に、落ちつけ!平常心だ!を込めて。

ニュートラルでありたい。

むつかしいからこその指針です。





読んでくださりありがとうございます。