母へのまなざし
こどもの日にひとり暮らしの母を誘いシャクナゲ園と滝を見に行った。
広い駐車場、白いテントの下におじさんふたりがパイプ椅子に腰掛けている。
「無料です。こちらに記入をお願いします。」
お客さんは少ない。
額のあたりをピッと測られ代表者と連絡先、同行者を書く。
今年は例年より開花が早くてね、と申し訳なさそうに話す。
歩きはじめると緑の中にぽつぽつとかろうじてシャクナゲが咲いていた。
これが一面のシャクナゲだったらテンションもあがりずっとスマホで写真を撮ることに夢中だったはず。自分の目で眺める。
母は膝の具合もあり、滝まで降りる階段をみて早々にリタイアした。
「せっかくだしゆっくり見ておいで」の声にあまえ、昨夜の雨で濡れた石段を降りる。
夫はさっさと降り始めていたので、ゆっくりシャクナゲの立て札を見ながらふんふんと歩いて行くとツルっと靴の裏に嫌な感触がありバランスを崩した。
ここで転倒するかもしれない確率88%(母の日だけに)
しっかり踏みしめると返って危ない気がしてさっさと降りることにした。
森林浴
空気がかわる。
鳥のさえずりも滝の水の音もしだいに大きくなる。
自分を意識しない時間が過ぎていく。
たまに苔むした石やひっそり咲いてるシャクナゲにスマホをかざしたりしていると、貸し出しの杖をつきながらのぼってくるひととすれ違う。
こんにちは、と登山のときのように朗らかな挨拶をしてみた。
会釈だけだ。
うん、しんどそう。。。
ここまで来たんだし近くまで行こうとずんずん降りていく。
滝壺の近くでカップルのはしゃいでいる声がする。
若いっていいなと50代が目を細める確率1000%
滝も撮った。
母の元へ帰ろう。
のぼり始めて思うのはただひとつ!地球はひとつ!
膝に来る!!!
杖がほしい!!!!!
頑張ったよ、全力で。
待ちくたびれたであろう母がおつかれさまと笑っている。
ハアハアしながら詫びると、ここから滝を見てたし通る人と話してたから大丈夫と返してくれた。
母はいつもそうだ。
待っている、何も言わずに。
覆っていた雲は去り、陽射しであたたまった車に乗り込み水を飲む。
お気に入りの産直で野菜や果物を買い、蕎麦をたべた。
助手席でウトウトしたあと、実家にあがりお茶をごちそうになる。
その日は朝からコモドドラゴンやこどもの頃の写真がツイッターに流れていた。
アルバムある?と出してもらい自分のこども時代を眺める。
乳児のころほんの少しの間、一緒に暮らしていた父。
母はひとりで子育てしていた。
数年後、何かと自分勝手な父は旅行に行こうと言い出す。
当日、長崎駅で待ち合わせをしていた。
駅に着くと母の手を離し、私は走り出す。
そこに父はいた。
母は驚く。
何年も会っていない父のもとへ一目散に走っていく娘に。
ああそんなものなのかと。
この話は何度か聞いたのでよく憶えている。
昔から写真を撮るのが趣味だった父は、母を連れ奈良や京都に行った。
大切にしているスクラップブックには仏像と凛とした若い母が並んでいる。
それを受け継ぐのは母がいなくなったあと。
想像するだけで鼻の奥がツーンとするから今はやめておこう。
アルバムに母とわたしが写っているものは多くない。
ましてや父が撮った写真は数えるほど。
さっきの旅行の写真がアルバムにあった。
父にはこんなふうに見えていた。
無邪気に笑っている。
母は父を見ている。
母のことが大好きだった父は、ふたりで東京に行かないかといい出したり、エピソードには事欠かない。
その度にひとりで生きていく覚悟を結んでいたようにおもう。
母は誰とも結婚しなかった。
それは父を喜ばせたかもしれないし苦しめたかもしれない。
父の悪口はほぼ聞いたことがないけど男の人の悪口は言っていた。
母を通して父を知った。
嫌いになるはずもなかった。
口うるさくない母だったが16になったころ言われた言葉がある。
男と酒とタバコは自分の責任において決めなさい。
びっくりしたけどその頃の私と周りの環境を察知したのだろう。
結局いまでも、
タバコは吸わない
酒は体質的に飲めない
男はいうまでもない
いまでも白髪で髭のひとに弱いのは父が好きだから。
どうしようもないことばかり言ってくる父を大好きな母。
苦労したであろう母は、幼い頃から本が好きで貸本屋に通っていた。
店のおじさんからも新しい本が入ったよと可愛がってもらったらしい。
こどもは、一個人であり親の所有物ではない。
本読みの母は自分にそう強く言い聞かせ私を育てた。
こどもを生み育てる人生ではなかったけれどそんなふうになれる自信はない。
思えば父も母以上に本読みだった。
なぜそこを継げなかったのかはのちのち自分に聞いてみるとしよう。
あの写真は何度も見ていた。
ふと様々な感情が支配する。
旅支度をする母はどんな思いだったのか。
その後、大人になり父との交流がはじまる。
亡くなる前に一枚の絵を託された。
画家の友人に描いてもらったデッサン。
言われたとおり父がいなくなったあと指定された店で額装し手渡した。
絵は一度しか飾られなかった。
さみしげなトーンの絵は大切なスクラップブックとともに私のもとへ来る運命のようだ。
母のまなざしは絵など必要ないのかもしれない。
10代のとき家出して和歌山の滝を見に行ったと母が話す。
今日はみんなで見れてよかったと笑う。
まだまだ知らない母がいる。
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家族、友人、知人、仲間、会いたい人にあえない日が続きます
そうするしかなくてもどかしいです
そんな時代に生きている自分を想像したことなどありませんでした
先月のお墓参りではその話を少しだけ父にしてきました
勝手に登場させたけど怒らないでね
それでは、また!
読んでくださりありがとうございます。