気分が晴れないときは
雨のせい?それだけじゃない。
どうしようもなくふさぎ込みそうなときは、あてもなく散歩をする。
たとえば、
ふらりと知らない店へ入る
たまたま見かけた本を買う
自分のために奮発する
映画をみる
大好きなパンを食べる(冬は林檎)
ソファで寝る
ひとり旅 本来はこれが一番
それができない今、花を飾る。
育てた植物を摘んで飾りたいのに、育てるのが下手すぎて諦めている。
近くの花屋、直売所、スーパーの生花コーナー。
どこだっていい、花を買うのだ。
この日は映画をみたあと、野菜と花を並べている近所の小店に立ち寄りひときわ目をひく向日葵をみつけた。
「小ぶりだけどこんなのもあるよ」
持ってきてくれた向日葵は芯が緑色で爽やかなイエローだった。
誰かと会話するのも少ないからか、このやり取りでちょっと元気がでる。
午後3時すぎは梅雨の晴れ間もあって暑かった。
誰もいない坂道を律儀にマスクをしているのがあほらしくて途中でマスクを外し深呼吸をした。
途中にある立派な石垣のお宅の剪定の日で、落ちた松葉や枝葉が若葉よりも濃い匂いを放っている。
庭師さんは地下足袋姿で挨拶も後始末の姿もかっこいい。
たっぷり汗をかいてシャワー浴びたいのをこらえ、とりあえず新聞紙にくるまれた向日葵を花瓶にいれる。
少し冷えた玄関に置くたびに花を活けるセンスがほしいとおもう。
むかし勤めていた店舗に隔週で花を活けに来てくれる人がいた。
開店前に抱えてきた花たちは広げられた新聞紙にやさしく置かれ、いくつかある花器からいちばん似合うものに活けられる。
私達が掃除や準備をする間、ぱちんぱちんと花鋏の音がする。
終わりましたの声に振り向くと、花瓶の花は声がしそうなほど表情が豊かで、前回のアレンジとはまったく違う様子からもそれはマジックのようだった。
レジ近くのカウンターに飾られた花を見るたび癒やされる。
華美ではなく自然な雰囲気の草花や枝物のアレンジは店舗にもよく映えていた。
お客さまからも褒められ花の名前も訊ねられるようになり、事情を話すと次からは飾った花名を書いてくれるようなフローリストだった。
いまではロマンティックな名前のバラが多かった記憶がかすかにあるだけ。
真摯な仕事ぶりにいつからか個人的な注文をお願いするようになる。
誕生日、母の日、年賀、供花、想像以上のお花を届けてくれた。
お任せできる花屋があることの素晴らしさは喜んでもらえる機会の多さと比例していた。
働いた店を辞める日、元同僚たちがその店の花を手に会いにきてくれて少しだけ特別な時間を過ごしていた。
日も暮れた頃、花屋の彼が来てくれた。
「Aさんからです」と花束を差し出す。
Aさんはこの店舗の設計士で、一見怖くて笑うと赤ちゃんみたいなひと。厳しくやさしく面白くずっと変わらず励ましてくれた唯一無二な存在。
とくに店の手入れや掃除についてはいろんな指導を受けてきた。
来るのはたいてい朝一番でテラスに灰皿と珈琲を出すついでに、なかなかできない大人の話をもしてくれた。
尊敬していた人からの花束に、いろんな感情が押し寄せた。
あれから9年経つけれどあんなに花にかこまれた日々はなかった。
時は流れ、彼は花屋を閉めた。
取引先のバラ農家さんがやめたのも大きいようだった。
好きだった花屋の名前は
「Un Jour de Fleurs」
アンジュール・ド・フルール
「花のある一日」だった
いまでも思い出すくらい、唯一無二のフローリストへ
ありがとう
追記
先日、不意に花をいただいた。
久しぶりに舞い上がってしまった。
わたしも誰かに舞い上がるような何かを届けられたらいいのにとおもう。
伝えずにはいられない手紙なら書けるかな。
不器用ながらもたまにnoteも書きたい。
今日は花の名前のついた夫の亡き母の誕生日だった。
野菜も花もたくさん育て、こどもも10人育てた愛のひと。
思い出しつつ書いているとすこしずつ気分も晴れてきた。
2021.12.6
読んでくださりありがとうございます。