社会に殺されて、世界に生かされて

ううう、吐きそう。
価値とか、意味とか、意義とか、そういうものがないと許されないような状態に。僕らの生きている世界はそういうもんだという重力に。

僕らは「社会」と「世界」を同じだと思っている。イコール。隙間なし。

僕らは、「世界」を生きているつもりで、いつからか、それよりも小さな「社会」の中だけに生きている。

そして、逆説的だが、僕らは「社会」の中だけを生きることなんて出来ない。ゆっくりと死んでいく。殺されると言ってもいい。

人がこの世界をうまく回すために、「世界」という複雑怪奇なものをシンプルに、誰でも捉え扱える形に落とし込んだ。それが「社会」。
だから、説明できる。論理が通る。頭でわかる。

そしてそれを「生きる」ことだと理解すると、僕らはその瞬間から「生きる意味」を見失う。だってこの「社会」に意味なんてないんだから。

それは苦しい。すっごく苦しい。息苦しい。


でも僕たちは、実はずっと前からその苦しさの外に行く方法を知っていた。
「社会」と「世界」の隙間に。
そこにあるのがアート。
そしてそこに連れて行ってくれる人がアーティスト。
僕らは、この「社会」で苦しいとき、アートに救われてた。

それは絵画なのかもしれないし、音楽なのかもしれないし、短歌なのかもしれない。形は何でもいい。もしかしたら誰かのたった一言かもしれない。特別なものでもなんでもない。

すごく苦しくてたまらなかったのに、ふと楽になる瞬間。その時触れているもの、それがアートなんだと思う。


その人が捉えている「世界」をその人の表現で、目の前にぽんっておいてくれる。有名無名関係ない。もちろん食えてる食えてないも無関係。


たまたま書いただろう大学生のnote。
その中に「世界」を見る。
誰かに「こう考えろ」と言われた言葉や、ノウハウのようなものから無縁の、ただのその人の「世界」の提示。

そういう当たり前のアーティストが、もっとずっとアーティストのままでいられるように。「社会」という重場に押しつぶされないように。



そういう役目を僕自身は担っていくんじゃないかなってちょっと思ってる。
アートに救われた一人の人として。



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