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広島にタバコを買いに行く

昨日、
#死ねを別の言い方で言ってみよう
というハッシュタグが流れてきて思い出した話をひとつ。

例えば、戦時中の日本を描いた映画で、登場人物が「広島に行く」というセリフを言えば、それは間違いなく死を暗示しており、永遠の別れを意味する。云うまでもなく、原爆という圧倒的な死が待ち受けているからだ。死亡フラグというやつ。

ところが、中国地方にはもっとずっと昔から死ぬことを「広島に行った」と表現する習慣があったという。「死」が口に出して憚れる禁忌の言葉だったかも知れない。「あの叔父さんは先日広島に行きました。」などという言い方で死を報告したりする。単に「広島に行った」から「広島にコメを買いに行った」「広島にタバコを買いに行った」など様々なバリエーションがあるらしいが、原爆以前の広島に死を意味する何があったのだろうか。

その発端は宮島にあった。厳島神社がある宮島は、島全体が神が鎮座する聖域であり、死という穢れを忌み嫌うため、島内には墓地がない。故に島民が亡くなると、死者は対岸の広島に運ばれそこで埋葬される。つまり死者は「広島に行く」わけだ。対岸に渡ること自体死のメタファーであるから、これは実によくできた話だ。

この宮島から中国地方各地に広まったという説が有力である。瀬戸内の漁師の間には、台風などの吹き返しで大荒れになった海に繰り出すのを「広島にタバコを買いに行くと帰れなくなる」と称して戒めたという話も伝わっている。

この「広島に行く」という土着文化的表現は、戦後原爆を連想させるという理由から、人々が使うことを遠慮し、急速に廃れたという。何人かの広島出身者に尋ねたが知るものはいなかった。

上記の話から「死ねを別の言い方で言ってみよう」から「広島に行け」というのを思い出した次第であるが、単に死ねと言うよりよほど念がこもりそうで、使うのを憚れる怖い言葉である。

むかし、宮島の小さな船着場から小舟で死者を運ぶシーンが出てくる映画を観た記憶があるんだが、なんという映画だったか一向に思い出せない。

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