あかるいよるに
2021.09.28 久しぶりの風は秋そのもので空はさわやかな黒に深いグレーを散らした色。星が広く強く光り、月は大きく美しい夜。
「好きなことなに?」
「・・・・。」
「え、じゃあ趣味は?」
「んー、趣味・・・」
「趣味も好きなこともないの?」
「そういう訳ではないですけど、」
「・・・・。」
「・・・・・、すみません。」
「いや、なんで謝るの……?」
「なんとなく……」
「俺、自分のこと好きなんだけどさ、自分を好きなことって意外と大切なんだよね。」
自分を好きになったことなんて、一度も一瞬もない。今、好きなこととかも考えられる心の余裕がないのもあるけど、それ以前に好きでもない自分のことに興味がわくはずもない。でもそれって自分にすごく失礼なのかもしれない。産まれてから今まで、そして死ぬまでもどんなときもどんな日も自分の心と身体はずっと一緒にいるのに自分が自分と分かり合えてないなんてよくないのかもしれない。
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私は自分の行動だったり、発する言葉の表情や温度に細心の注意を払って、言葉を選んだりタイミングを考えて生きていて。それはきっと今までの経験とかからで決して悪いことではないとも思ってて、明確な意図があるわけじゃないけど、周りにふと手を差し伸べたり助けたり守りたくなったりって、信用しているからとか、大切だからとかそういった気持ちもそうだけど、そういうことより先に、意識とは違うどこかで動いていて。
「否定をするわけではないけど、人って難しいから、相手に対する自分の想いとか気持ちって一方通行になってしまうことが結構多くて。モノによっては共感し合える人が違うこともあるし、だから『言葉を選ぶ』ことの理由や目的とか、そういう不特定多数への『献身』は自分にとってどんな意味があるのかとか、誰かに・何かにそこまでするのはなぜだろうっていう。
人として二面性をもつことも必要だったり、場合によっては『あきらめること』が得策だったりもするんだよね。
深く考えれば考えるほどわけわかんないし、人って難しいってことになっちゃうんだけど、自分がどうしたいとかさ、思ってることも考えてることも、まず第一にそこからなんじゃない?」
優しさは決して全対象に注ぐ必要はなくて、逆に自分自身も優しさを注ぐ対象の1人なのかもしれない。
ぼんやりと、なんとなく、でもゆっくりと、
わたしは私と生きていく。
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