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子どもたちへの想いの元

2024/1教室だより

写真はスタッフの先生手作りの謹賀新年、敢えてアナログにしてみました!
予告通り、師走は慌ただしく過ぎていき、年内の教室は終了いたしました。
年末実施させていただいた顧客満足度アンケートでは、多くの保護者の皆さまにお声をいただき、またスタッフ一同、いただいた声を大切に、来年以降の教室運営、改革につなげさせていただきます。

アンケートでは、本当に温かい声をたくさんいただきました。
運営側が頑張っていることって、こんなに伝わるんだなと、逆に伝わっていない方も全くいないわけではないけど・・・それはそれとして反省点として真っすぐ捉えていきます。

最近、感じていること。

保護者の方の中に、こういう方が増えている印象です。

例えば、数年前までは、『B教材の筆算の繰り上がりはなるべくなら書かない』とお伝えしてみても、結構半信半疑で、逆に疑ってくるような方が多かったような印象だったのですが・・・
最近は、私が、『なるべくならば、繰り上がりは書かないほうがいい、なぜなら・・・』と説明すると、それは知っているよというような雰囲気の保護者が出て来ています。体感したわけではないけど、なんとなく分かるようになってくださっているような印象。

これは、どういう変化なのか、まだ明確には分からないけど、
『公文をする』と『賢くなる』と感じてくださっている方が増えているのではないか?
そして、過去記事にも書かせていただいているようにhttps://note.com/kumonegachu/m/m5790c609c4a8

もしかすると、こういう記事を読んでくださっている方が増えてきているのではないか?と思うのですよね。

やっぱり、公開することにも意味があって、何でもクローズにしてしまうことって違うような。
正しくない情報を流す人がいるから、問題なのであって、
でも、正しい、正しくないって、誰が決めているの?
発言・表現の自由は?
そこに創造性が有っても良いし、あまり規制ばかりせず、ある程度は自由にさせることも、発展には大事なのではないか?と。

私はそこに気づいたので、初心に戻った気持ちで、それはダメと言われない限り、何でもやってみようと思うのです。

形ばかりで想いが無い、そんなつまらない教室を創りたくはないのです。

自分で自分の可能性に蓋をすることが一番やってはいけないことと思います。
これは、子どもたちにも、保護者のみなさんにも、言いたい。

先日お会いした、これから公文の指導者になりますよという方からも、noteの記事を読んでいると教えてもらいました。多くの方がこの記事を読んでくださっています。

私は広く伝えたい。くもんの良さも、私がどんなことを考えて、この仕事をしているかも。
ちゃんと伝えていけば、積もり積もって本も出せるのではないか思っています。これには、多くのエッセンスがある、薄っぺらいものではなくて、ちゃんと地に足の付いた指導法ですと。

自学自習という大切なものをこんなに小さい子たちが体現している、この様子をライブ配信できたなら、いや、しませんけどね。
うちの子どもにはできないと決めつけているのは、大人。先生だったり親だったり、余計なことをし過ぎて、子どもの可能性が逆に狭まる。
子どもの可能性を信じることの大切さ、根本に横たわっているもの、そしてそれをどう導いていくのが良いのか、家庭のことや子どもの性格のことを知ろうとする意味、何で毎日学習することが大事なのか、どういう顔付きになれば、賢くなったと言えるのか、私たちが当たり前と思っていることは、きっと世の中では当たり前ではないのだから、外の人に向けて、発信していかなければ!
そう思っています。

くだらないもので、この大事な気持ちをぶち壊さないでください。
子どもも教室も生き物みたいなもの、自由に発想させて大きく育てればいいじゃないかと思うんです。

さて、今日は、私、東郷自身の子どものころの経験談を、いくつかご紹介します。
今思うと、今の仕事、指導に繋がる原体験かもしれない・・・と思い始めました。
一部は、たまに面談でもお話しますので、ご存じの方もいるかもしれません。もし、年末年始にお時間ができれば、長いのですが、読んでみてください。

【原体験1】小学生のころから、勉強はまあまあ得意な子でした。

ただ、幼児期からそうではなかったそうです。
九州の田舎で、大して教育も熱心ではない地域に住んでいましたが、私がひらがなを覚えたキッカケがあったそうです。
年中さんごろ、お友達のお家でかるた取りをして遊ぶ機会があり、全くひらがなを覚えておらず、お友達に全負けして大泣きしたそう。その後、ひらがなの勉強を始め、小学生になる頃には読み書きできるようになったと。
何事も、きっかけ、思いが大事だし、そのちょっとした先取りで小学生になった時に勉強に困らなくなった、『私、できる子』と思い始めたそう。
多分、その経験が無ければ、今公文の指導者はしていなかったでしょうね。
そうやってどこかで繋がっていきます。

【原体験2】ノートは一切取らない子でした。そして字が汚い。

基本は耳で聞くことが中心で、高校生までノートも取ったことが無く、小学校の時の『あゆみ』には『字を丁寧に書きましょう』と書かれた覚えがあります。
字を丁寧に書くことに全く価値を感じなかった子どもでした。ノートに書き写す意味が分からず、覚えているから大丈夫と自分は思い込んでいました。
大人になった母が私の文字を見て驚き、『え?字の練習をした?』と言って来たのを覚えています。
さすがに大人になって、仕事で意識したら、普通に人並の字なら書けるようになりました。意識したらできるんですが、子どもの頃はそれがずっとイヤだったんですよね。

高校生の時、受験の勉強のため、初めて自分で『まとめノート』を作るようにしました。どう頑張っても全部をちゃんと覚えておくには、何度も見返せるものが必要と思ったから。大学生になって、心理学かなにかの授業で、書いたものは忘れやすい(安心するから)と言われ、私の学生時代の行動はきっと正しかったと感じました。
でも、大人になった今は、きっと大人がノートを取れという理由は、大人になると、記憶力が低下して物事を忘れやすくなるからじゃないか(笑)と勝手に思っています。良く面談では、子どもが字が汚い、とか、ノートが取れないので、内申が取れる子にならないと学校の先生に言われたとか・・・そういう相談を受けることがあるのですが、ノートなんて要らないと思っているようなら、気にしなくてもいいし、字を丁寧に書こうとするかどうかは本人が決めるので、周りが言っても変わらないよとお伝えしています。
人に評価されることで進路が決まる教育体制って疑問に思います、素直に。

あと、字をキレイに書く子=学力が高いとは言い切れない、学力が高い子の中には字が汚い子も多い、のは事実です。
アウトプットがうまくできなくても、処理力というか、頭の中ですごく考えている子は結構いるので、出てくるものだけを見ないことです。
自分で式をキレイに書かないと間違ってしまうねと気づいてから、式を頑張って書こうとする子もいますし、あまり、型にはめすぎて、勉強ってつまらないものと思わせないようにしたいなと思っています。

・・・まあ、大人は大人なので、どうしても口うるさく言ってしまいますけど。注意しながらも、子どもの気持ちは分かってあげたいですね。


【原体験3】中1までほとんど目を使わないで授業を受けていました

中1くらいまでは、粗削りのままの状態でそれなりに勉強ができていた位の成績だったのですが、努力している子に何となく敵わないような気がしはじめていました。授業を聞いている時、情報は入ってくるけど、なんとなくぼんやりしていて、ちゃんと頭の中に残らない感じ。音だけ左から右に流れていく感じです。
ある日、授業中に、先生の授業を聞きながら開いていた教科書を少し遠めに置いてみてみたら、目の中に情報が飛び込んできた感覚。
この発見には、自分でも驚いて、そっか、今まで教科書が近すぎたんだ!と腑に落ちたんです。
私は遠視なので、ちょっと遠目に文字があるほうがしっかり情報が入ってくる、そこから急に成績が上がり始めました。

気持ちの面でも、それまでは、少しスレていた気がします。でも、色々分かるようになると、面白くなるんですよね。それから、一生懸命学校の授業を受けました。びっくりするほど荒れている公立の中学校でしたが、塾要らず、何とかトップの公立校に行けるか行けないかのレベル(大体の地方では公立のほうが私立よりレベルが高く人気があります)。でも、高校はちょっとランクを落として、私立の特待生で入学させていただいて、3年間学費免除で通わせていただきました。

親の関与なんて、最初のひらがなを覚える時位です。ただ、高校の時、あまりにも授業中寝すぎて、担任の先生に面談でこのままでは特待生では無くなると思うと言われた時から、まじめに頑張り直しました。

それから、大学に行くときも全く塾には通っていません。毎朝始発で学校に行き、朝の時間を大事にする3年間。家では一切勉強せず、夕飯を食べたらなるべく早めに寝て、朝一でまた学校に行って勉強する、その繰り返し。3年間、そういう生活を送りました。

【原体験4】そして第2希望の大学へ

東京に行きたいと漠然と思い描いて受験、第1希望の東京の大学には前期試験で落ちてしまい、後期の試験で地元の国公立大学に進むことになりました。でも、高校3年間勉強漬けだったせいで、燃え尽きてしまい、大学は全く真面目には通いませんでした。何になりたいかという人生経験も少なく、何のために一生けん命に勉強したのか、と感じた大学生活。ただ、今までできなかったスポーツをしたくなって、唯一できそうだった水泳部に入部。これがかなり強烈な体験だったことは間違いなく、魅力的な仲間と先輩に囲まれ、本当に充実した学生生活が送れました。
賢いだけでなく、水泳も速くて、そして面白い、思いやりにあふれた人たち。その時、文武両道の良さを始めて知りました。人としても魅力的な人たちの中で、自分には何もない、と感じました。
勉強漬けで同じ大学に入ったけど、もっと違う育ち方をしていれば、勉強漬けではなく、充実した学生生活が送れたのではないか、と思ったのですよね。色々聞いていると、小学校時代、公文だったり、公文でなくとも、母塾のドリルだったり、基礎的な学習を積み重ねていた人が多かったように思います。
私のように、高校時代勉強しかしない人なんて少数派?全員に聞いたわけではないけど、小学校時代ボーっとして育ったことはずいぶんもったいなかったのではないかと、今更ながら思っています。

もっと、小学校の時からコツコツ勉強しておけば、地頭を鍛えていれば、その後も、好きなスポーツをやりながら、ガリ勉で無くても、満足度の高い人生を送れたのではないかと。

そして、この自分の後悔は、自分の子どもの子育てを始めるときに、最重要事項として、活かされることになります。

これが、今の指導者人生の原点。この自分の後悔が無ければ、私は公文教室を開くことは無かった。

そして、自分の選択は正しかったと感じます。まだ子育てを終了したわけではないけど、我が子のモットーは『文武両道』です。勉強だけでなく、スポーツも無茶苦茶がんばっている。自分の意思で。中途半端とか、そういう意見もあるけど、中・高3年間、勉強だけし続けた私が思う、一本頼みでは、ポッキリと折れてしまう怖さ、私も何度も危ない時期がありました。若さのエネルギーはきっと運動等で発散しないといけない。そして、QOL(生活の質)や、人としての魅力、多くの人と関わる経験、時間が無い中で、効率の良さを考えながら走ること、多くのメリットが文武両道にはある。

時間は限られている、受験も、卒業も、人生最後の日も待ってくれない、毎日一生けん命生きることを、そのためにも、小さい時から、地頭を育てておく。ある程度は遺伝と言われているけど、頭を鍛えていなければ、良い遺伝子だけを持っていても仕方がない。そして、最終的に打ち勝つのは、コツコツやる習慣づけだったりする。

だから、公文をお勧めします。全力で。なるべく小さいころから通わせてあげてください。勉強を勉強と思わない時期からが大事です。
そうやって賢くしつつ、勉強だけでなく、人生が豊かになるようにスポーツや趣味も全力でさせてあげてください。
これからも、江ヶ崎中央教室では、ご家庭の想いを大事にしながら、お子さまを伸ばせるように全力でお手伝いしていきます!

東郷より、2023年の締めくくり、愛と共に。





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