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公文教室を開設して、 ちょうど10年となりました!

2022/2教室だより
2012年に小学校前に小さな小さな教室を開いてから、今年の2月でちょうど10年になります。その時は、もちろん、10年後の今の状態がイメージできていたわけではありませんでした。一緒に働いてくれるスタッフも1人から始め、日々分からないことだらけ。子育ても始めたばかりで、ただ必死に生きていたように思います。正直、何も順風満帆ではありませんでした。
今思い出すと、この10年の間、大変な時こそ、今、目の前にあることをしっかりやるしかない、という意識で、気付くと階段を登っておりました。

『継続は力なり』


教室もどんどん生徒さんが増え、保護者の皆様にも、地域の方にも、一緒に働いてくれるスタッフにも恵まれ、気付くと、大教室になってしまいました。10年間、良いことも、悲しいことも様々経験してきましたが、失敗した時は自分の未熟さを反省して、ここまで参りました。でも、何より『継続は力なり』だと思います。山を登っていない人から言われても、あまり説得力はありません。これは登った人にしか言えないプラチナワードです。

続けようと思えたのは、『公文式への信念と実感』があったからこそです。多くの子どもたちが『公文』に出会ったことで、驚くような変化、成長を見せてくれました。幼児さんから見せていただくと尚更実感します。

『継続は力なり』は、生徒さんも、保護者も同じです。諦めずに長年頑張ったから、数年後驚くほどの能力を身につけることができる。短期に使うという意識で習わせている家庭より、『公文』の良さを十分理解して習わせている家庭の方が、やはり子どもは伸びていきます。その違いは何なのでしょうね。改めて、今、不思議に思っています。

この10年の間、子どもたちを取り巻く色々な環境の変化を感じてまいりました。せっかくの節目でもあるので、最近よく感じることと共に、今時の子育てを見直すきっかけとなればと思い、長文になりますが、一度まとめて共有させていただこうと思います。

最近の子育て環境で気になっていること

  1. デジタル子育て

  2. 叱らない育児、子どもの気持ちを大事にするということ

  3. 最終ゴールが見えていない、最初だけ頑張り過ぎて、失速する

デジタル子育て

とても、便利な世の中ですよね。
この間に、人間は手の中に最高の知的なツールを手に入れてしまいました。しかも、特別の人だけではなく、求めればほとんど全ての人が手に入れることができるという大きな変化です。
調べるのも、遊ぶのも、買い物をするのも、スマホ一台あればできます。この10年で一番の大きな変化はスマホの普及です。

当然、この最強ツールは、突然泣き出す『小さい子どもをあやす』という目的でも使われることがあります。静かにしてほしいときに、動画を見せるとおとなしくしてくれる、本当にありがたいですよね。絶対に使わないで!!とは言わない、ただ、子どもたちのために、分かっておいていただきたいのです。

様々な能力を育てている乳幼児期に、受け身の刺激で脳を慣れさせることがどんなに危険なことか、というのは十分に気にかけておかなければと思います。
寝返りやハイハイをするのも、成長に伴い、ごく自然にしているように見えますが、子どもに何か意欲があってできること。周りの大人はその意欲を育てないといけない。
じっと寝ていても、楽しくて夢中になれることが自然に起これば、自分から動く気を無くします。
離乳食の時までに、親が楽しそうに、美味しそうに食事をしている様子を見せておくのが良い、という話があります。赤ちゃんは大人のことをいつも身近で観察しています。

教室で見ていても、『集中』がすぐに途切れてしまうお子さんがチラホラいます。できないわけではなく、できるのに、能力はあるのに、キョロキョロが止まりません。小さいときから、テレビや動画やスマホを見せながら育てて来ていないでしょうか?それまでの育児が子どもに出ているのかもと感じます。
そういうお子さんたちに、「集中してね!!」と声掛けしても、全くの無駄です。響きません。他に脳を楽しませて来ているから、勉強で楽しいと思う感覚が育ちにくい。そういう子どもは強制的に学習させられている、としか感じていません。

また、それ以外にも、『お金(小銭)』を使っていない子たち、今は特に、衛生の面でも小銭はちょっと・・と思ってしまいますが、数年前から、電子マネーでなんでも払うことが多くなりました。

小1位で『100+100』が難しすぎるという顔をする子が多いです。割合はどんどん増えています。昔の子が自然にできていたようなことができなくなっていることは良く感じています。

こういう時代だからこそ、育児は、できるだけアナログに。人との接し合いと思って、声かけや歌いかけや、読み聞かせを大事にしてあげてほしいです。自分で動けない、お話できない赤ちゃん時代こそ大事です。アナログなインプットを大事にしてあげてください。大事な時期に、動画漬けにしないように・・・また、大人がスマホばかり見て、子どもの相手をしないことの無いように・・・と思います。

最後、公文を創った「公文公(くもんとおる)」会長が言っていた言葉を引用して、この章の締めくくりとさせていただきます。

以下、原文そのままです。30年以上も前の言葉ですので、今の時代に合っていない表現もありますが、その本質(エッセンス)を読み解いていただけたら。母親と限定されているのは、現代のジェンダー論からすると問題があると思われるかもしれませんが、現代では『親』と読み替えていただき、裏読みすることの無いように、と願います。
乳幼児への大人の働きかけが大事かを伝えたいだけなのです。

幼児の能力差は母親の能力差である(1989年 平成元年

「幼児の能力差は母親の能力差である。認める、ほめる、あせらない、腹を立てない、関心のあるものを選んで与える。乳幼児が起きているときは、家事、主人の手伝いなどに多少手をぬいてでもその行動を見守り、与えるべきものを大切にする。よい先生を選び、その指示に従うべきである。」――このなかでいちばん大切なのは、もちろん最後の「よい先生を選び、その指示に従う」という箇所です。

 

叱らない育児、子どもの気持ちを大事にするということ

叱らない育児が良いと、お友達のような親子関係が素敵とか、憧れるのは、私も、分かります。

でも、子どもはまだ人としては未熟なもの。未熟なものに手綱を預けるのって、どうなのでしょうか・・・自由と責任は同時に存在するもの。大人側がそこを十分に分かっているのかどうかが大事です。

保護者の口から、子どもがやりたいと言ったから(私が強制しているのではない)というような言葉が出てくる・・・
小さいときほど、家庭の方針を決めるのは、良くも悪くも保護者なんです。そのことを、どうか・・・お忘れなく、と思います。
子どもの意見を尊重するのは、ものごとを正しく判断できるようになってから。厳しいようですが、未成年のその子が人の道に背いたら、責任を問われるのは、結局、親なのです。

それより、子どもに尊敬される親になるという意識の方が大事なのではないでしょうか?親ができることは、子どもに頑張っていて素敵な自分の姿を見せること。将来、そういう親になりたいと思ってもらえるように。

最近、知り合いの高校生が、「親は反面教師です!」と言っていましたが(笑)、それはそれで良いのではないかと思います。親を越えた!という実感を持てる子に育ったということは、「子育て成功!」ですよね。実は、私も子どものころ、同じことを思っていました。親が先回りして頑張り過ぎない方が、最終的に子どもが大きく育つものなのかも、しれませんね。

幼児さんで、お家で宿題したがらない、子どもが勉強が嫌いになるのが心配、等と仰る方もいますが、そういう心配をする前に、子どものことをちゃんと理解しているのか?なぜ、宿題したがらないのか?冷静に分析することができていないことに気づいてほしいのです。
家庭ごとの悩みは家庭にしか分かりません。自分の環境は自分しか分からないのだから、なぜ?なぜ?と考えること。安易に公文を悪者にしないこと、原因は自分の中にしかありません。そう考えないと、何も変わりません。
子どもが思い通りに動かないとき、保護者から、私は十分やっています、私は悪くありません、というアピールをされているな、と感じるときがあります。
誰も責めていません。誰も悪くありません。

でも、子どもが自分の思い通りに行かない。それをどう考えますか??

できることは、自分が変わること。

私は、そういうことを、何も上から偉そうに言いたいのではなく、いつも私も問題ができたら、そう思うように頑張っています。この考え方は、課題解決の基本。ぜひ一緒に同じ方向を向くことができたら!と思います。

ちなみに、子どもをむやみに褒めるのも・・・実は違います。

あくまでも、子どもを一人の人間と思うこと。だから、上から褒めるのではなく、『具体的な行動を認める』というのが周りの大人の正しい行動と思います。大人が上、子どもが下というのが違います。子どもと同じ目線で、それでいいんじゃないと自信を与えることが大事なのかなと。

前述した『子どもは未熟』でもあることと矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、子ども自身は、正しい行動をしているかどうかなどは自信がありません。正しい行動をしているときは、それでいいと思うよ、と認めることです。

むやみに褒められると、「馬鹿にされている」と感じる子もいるそうです。大人が思っているより、ずっと子どもは色々なことを考え、感じているし、大人より感受性もある。大人になると、色々なことに慣れて想像力が働かなくなるので、子どもに対して横暴になることもあります。大人はそういうものと思い、子どもはどう受け止めているか?というのを観察して、次の声掛け等に活かすことが大切なのでしょうね。

最終ゴールが見えていない、最初だけ頑張り過ぎて、失速する

子育ては子どもが成人になるまで続きます。ただ、その前に、子どもが一人で歩けるようにならなければ、子育て失敗です。子育て失敗しないようにどうすべきか?親になったら、一番考えるべきことは、そこ、だと思います。
生まれたてのまっさらな子をどう育てるのか?誰しも最初は意気込みます。
高いお金を掛けて幼児教育に通わせると・・・天才になるかもしれない。
習い事もたくさんさせて、どんどんできるようになって、うちの子すごいかも!と心から思う。子どもの可能性は無限大で、とても貴重で大切なものです。

私も、十分その気持ちは理解していますし、応援をしたいと思っています。

ただ、先日、ある保護者の方ともお話していたのですが、子育ては「長~いマラソン」なのですよね。距離だけ考えても、途中、歩きたくなっちゃうかもしれない長い道のりです。親がずっと抱っこして走るわけにはいかない。

だから、公文でも、他の何でもそうなのですが、
やっぱり子どもが『自分』で歩けるように、そう仕向けるにはどうしたらいいのか?を考えてあげる。何かに秀でるように育てられなければ、子育て失敗なのでは無い、自分が意欲を持って、自分で前に進むように、というのが『育てる』ということ。子どもを育てるのは、他でもない『家庭』です。高いお金を払えば、誰かに丸投げできるものではありません。

公文がうまく行かない子を見ていると、大人(先生、保護者)への『依存心』『甘え』が大きいなと思うことが多いのです。
そこから、どうやって抜け出させるか?『自分ごと』で勉強に向かい合えるようになるのか?
教室での声掛けは、『自分でできた!』を大事にするという意識で行っています。
これを、全て口で言うのは簡単なのですが、実際は、(特にご家庭では)難しいことです。うまく行かないとき、私も一緒に考えてみますので遠慮なくご相談ください。

私が発する言葉を受け止めてくださった方に、何か気づきがあれば、と願います。

最後に、

この10年間、しばしば、元、保護者や生徒に言われたことなのですが、

例えば、算数のみ学習していた生徒さんに

「東郷先生!小学生のころ、国語や英語も学習したほうがいい!と、強く言って欲しかった!!」と・・・

時間や経済的なこともあるだろう、、と、遠慮することが多かったのですが、言わなかったことで数年後に直接、不満を言われてしまっています。そこが私の弱さでもあります。

東郷

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