学ぶことの意味

勉強は何のためにするのか?

まず目的から逆算すること自体、愚かではあると思うのですが、
なぜなら、賢くない人が逆算しようとすることが、本来不可能。

意味など分からないうちから、学ぶ。
『学び』とは何か?

学びとは、自分が知らないこと、できないことへの興味から探究すること。

そして、『目標』は『手段』になる。

『毎日の学習習慣を付けたい』
そう願って教室にお子さまを連れて来られる。
学習習慣を付けたならば、次は、その学習習慣は目標ではなく、手段となって、次のステップである、次は自分でお手紙を書きたい、という風に。

お手紙が書けたならば、次は漢字が書けるようになる、その先は〇学年先の学習をする、次は、○○高校に合格する、という新たな目標ができる、

という風に。

そうやって、人生という道は拓けていく。

それは上手く行った時の話。

最初からくじけてしまったら?

何か人生が変わるような出来事がなければ、
その子はずっと変わらない、親は奇跡が起きることを望むけど、奇跡は起こらない。

そうやって、良い流れに乗れない場合、逆に上手く行かない流れが続いてしまう。
気付くと、子どもに期待すること自体を止めてしまう。。

恐ろしいなと思います。

良い方にも悪い方にも行く。

ただ、『公文が向いてなかった』等と、安易な言葉で解決させようとするのは、全然違う。
そもそもの向き合い方、勉強という一つの課題に対して、逃げないで挑戦し続けたのか。
勉強は大したことではないのです。
毎晩、ちゃんと寝せて、毎日子どもに語り掛けて、毎日できるだけ学習をするという環境を与えてあげる、それだけで、子どもはどんどん伸びていくというのに、それができないということは、自分の子育てに対する姿勢を見直した方がよい。
スマホばかり見せていないか、夜はちゃんと寝せているのか、子育てを楽しんでいるか、学ぶということを分かっているのか、

学ぶというのは、できないことにどう挑戦していくかの姿勢を示している、言葉の中に、それが含まれています。

世の中には、大人になってからも、学ばない人がたくさんいます。
自分ができないことは避け、出来ることだけ偉そうな態度を取る人も、間違っているかどうかの冷静な判断ができないままに・・・出来ないことを認めると、自分の評価が下がると思い込み、それが学ばないことに繋がっている人がいます、そして、できないことを必死でごまかしても、出来る人から見ると一目瞭然、ごまかしていることはバレバレなので、何を言っても気づかれてしまう、

そして、そういう姿勢や態度は気付かれる。
気付かれないようにごまかそう、ということは難しい。

逃げない人は、逃げている人が分かる。

自分に自信がありすぎな人も怪しい。
だって、いくつになっても学ぶことしか無いのだから。
教える仕事をしていても、教えながらも学んでいるし、自分の無知に気づくことも、多々ある。それが学んでいる人には起こっているというのに、何で偉そうにできるのか、すべての知を知り尽くしたのか、そんなことはあり得ないというのに、

できないこと、分からないことを認めて、更に努力する、それでよいと思う、ただ、そんなに強くない、賢くない人は、すぐにめげる。

本質を分かっているか、それは物事の道理が分かるかということ、
数学を理解できるか、一定の法則性を自分で理解でき、再現できるか、自分で試行錯誤する力があれば、数学は解ける。

私は、数学に向き合う姿勢を大事にしたい、簡単な足し算の問題の答えが間違っていたとしても、その子がじっくり考えて出した答えならば、なぜそう答えを出したのか私は聞いてみたい。

単純に、答えが違っているからダメなんだ!とそういう指導はしたくない。
その子の思考回路が分かって、なるほど、と腑に落ちれば、その子に掛ける言葉や、指導の方針も見つかるだろうに、
基本、勉強を真面目にして来なかった大人ほど、正解で無ければ評価しない。結果だけを求める。そして形式しか判断基準が無い人も弱い。

別の意味で難しいのは、正解まで、すごく遠まわりをするタイプ。
ただ要領だけを求めるタイプよりはずいぶんマシだと思うが、
少しやっかいなのは、努力をし過ぎてしまっているあまり、自分のやり方が良いかどうかを疑いもしない。
数学では、式を美しく書く工夫、ここは省略して、ここは敢えて書こうというような工夫が試行錯誤に繋がり、正答率にも繋がると思うのだが、そういう思考錯誤が無くなると、ただ全部式を書けばいい、努力すればいいというような発想になる、省力化すべきことが見当たらないと、どんどんコストは増えて行く、気付くと、結果の割にコストばかりかかる。
ひらがなや漢字の書き順を気にしすぎるあまり、色々言ってしまうタイプもここに入る。

コストは気にしないで、という状況は基本無いと思った方が良い、どうやってなるべく少ない時間で、大きな成果を出すかを考えることが、発展に繋がる。
考えないまま仕事、勉強をすることは不幸になる。

考えることが大事、子育てもそうで、考えることに価値がある。

仕事もそう、日々考えろと、思う。
毎日同じことをしていれば、安泰ですか?

どう仕事に向き合うか、これまで人生で積み上げてきた目の前の課題に向き合って来たのか?

自分の来し方を反省するように大人になって促されても、基本変われない、自信が無いものはずっと無い、だから、小さい時から与えてあげてほしいなと、自分の頭で考えればわかる、ある程度のことは、そういう力を身につけてほしい、そのためにも、公文程度のことはできるようにする、教室に通うのには、意味があるけれど、一番大事なのは、小さいときほど、子どもに併走してくださる保護者のちから。

学びを喜べる保護者と教室が併走することで
子どもの成長に気付きやすくなる、
喜びを共有することをさせていただきながら、その先を一緒に見たい。
ひらがな〇文字読めるようになりました!
 →その先には、ひらがな全部覚えました!
  その先には・・・

そうやって気付く、我が子の成長に。

楽しむことが大事、楽しめていますか?お子さまたちの成長に。
まだひらがな読めないのね、とか、まだ書けないのねとか、否定やネガティブな方向で行かないであげてほしい。
これができるようになったね!とできることを認めてあげてください。

東郷より、成長について


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