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西国三十三所観音巡礼 【明星山 三室戸寺】京都府

久々の西国巡礼。
京都の宇治のお寺にお参りしてきました。

アクセス方法いくつかあったが、丹波橋からの乗り換えコースで京阪電車の三室戸駅へ。


京阪電鉄 三室戸駅


駅から山に向かって歩く



自転車+フルフェイスメット
安全第一!





住宅街の中の参道


宇治らしい





しばらくすると、お寺の駐車場上にピンクや白の梅が。





山門




結構な勾配



本堂


三室戸寺

宗派 本山修験宗
開基 行表和尚
創建 宝亀元(770)年
本尊 千手観世音菩薩


創建伝承

光仁天皇が宮中に毎夜金色の霊光がさし込むのを御覧になって、この奇瑞を大変お喜びになり、右少弁犬養に勅して、霊光の源を尋ねさせられた。
犬養は勅をうけ早速、宇治川の支流の志津川の渓流に沿って登って行くと、古樹がうっそうと生い茂る中に、水が青く澄んでいる清淵があり、そこは塵境を離れた幽寂の地で、流水の響きは煩悩の垢を洗う心地を起させたのである。
犬養が清淵に近ずくと、御丈、二丈余り、相好円満、光明赫々とした、千手観世音菩薩が、まぼろしのように、清淵の中から出現されたのを見た。犬養は随喜の涙を押え、掌を合せ厚く頂礼して、清淵に飛び入り、この御仏を抱き上げてみると、さきほどの尊容ではなく、御丈、一尺二寸の二臂の尊像と化していられた。
犬養は都に立ち帰り事の始終を天皇に奏上申し上げると、天皇の叡感殊の外深く、早速宮中に尊像をおむかえになつたが、その後、行表禅師を招き、御室をこの地に移して、この尊像を本尊として安置して御室戸寺と称するよう勅されたのである。

三室戸寺HP より






ご本尊、千手観音像は秘仏であり写真も公開されていないという厳重ぶり。
見えぬお姿を想像しながらお参り。
前回ご開帳があったのが2009年で、その時は84年ぶりだったとのこと。
秘仏(非公開)にする理由とはどんなことなのでしょう?





当寺創建以来、光仁、花山、白河三帝の離宮になったため、この頃から御の字を三に替え、三室戸寺と称するようになった。


本堂


歴代天皇の崇敬を受け、寺域を拡大し繁栄を極めた時もありながら大火災により多くを焼失したが、後に復興する。
しかし今度は、織田信長が足利義昭と宇治槇島で兵火を交えた際、当寺の衆徒が将軍義昭に味方したのを恨み、その後信長が天下の権を掌握した時に寺領を悉く没収したので、これより寺運衰退に向った。
寛永16年、道晃法親王によって復興せられた。

興亡盛衰を繰返しながら、現在は花のお寺として四季を通して広大な敷地に
様々な花が咲き誇るようである。



阿弥陀堂
親鸞の父日野有範の墓
と伝えられている



三重塔






とりあえず、全部触れておきました


寺にはカニを助けた娘が蛇に嫁入りを迫られ、カニが蛇を退治した伝承があり、娘が蛇の供養のために奉納したと伝わる宇賀神の木像(非公開)がある。 寺は気軽に触れてもらおうと、木像に似せた石像を新設した。 蛇の尾には金運、翁のひげには健康長寿の御利益があるとさる

三室戸寺HPより


牛や兎もいた。





この時期は枝垂れ梅が名物のよう。
下から見上げた梅林。


街を一望


枝垂れる


美曲線











山の斜面に植るツツジや紫陽花が見事らしい。



今回一番気に入ったのが
このコ






御詠歌  夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波



宇治の山に花さくお寺を詣でた


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