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Night walk

僕が群馬の私立大学に入学して2年目のことです。その大学で赤城山の山頂から夜通し歩くという「赤城山競歩大会」が開催されたのです。大学創立後初の競歩大会であり、僕たちがその第一号でした。

当時の北関東では、水戸の高校生の夜間歩行行事を描いた恩田陸さんの小説「夜のピクニック」のように夜通し歩くことが当たり前のように行われているようでした。僕は、徹夜で名峰赤城山を降りて埼玉県寄りの利根川河畔に建つ大学まで歩くということに物凄く好奇心が湧きました。普段は大学に行かないのに、こういった行事の時ばかり参加してしまうのでした。

大学は創立したばかりで学生は少なかったんです。大学全体で200人ほどだったと思いますが、大学に集まって、バスで山頂まで行き、国民宿舎のような大きな施設で食事を摂って深夜まで仮眠して、午前0時の時報とともに全員で山を降りるんです。

仮眠の最中に酷い目に遭いました。同じ平和荘に住む日立出身のHという奴が先導して僕は布団蒸しにされたのです。布団の下敷きになって身動きが取れないんです。苦しかったですよ、死ぬかと思った。後先を考えない小学生のイジメのような感じです。下敷きから解放された時に「てめえら、ふざけんじゃねえぞ」と怒鳴っても、彼らたちは笑っているばかりです。

このHという男は、小学生がそのまま大きくなったようなガキ大将のような男で、気が弱いくせに常に威張っていました。布団蒸しで大騒ぎしたあと、Hのことを恨みましたし、彼の口車に乗って布団蒸しにした奴らも許せなかった。ハタチを過ぎた、いい歳をして、いわゆるイジメという行為に及ぶんですからね。イジメという行為は、本人たちにとってみれば心からの悪意はないんです。子どもが仲間とじゃれあうという感覚なのでしょう。

悔しい気持ちで仮眠なんかできるはずがありません。そのまま悶々として起床時間の午前0時になり、顔を洗って歯を磨こうと洗面所に行きます。歯を磨いていると、あまり親しくないYという男がふらっとやって来て(こいつも僕を布団蒸しにしたひとりです)「歯ブラシを忘れたから貸してほしい」と言いました。

その頃の僕は今では考えられないほどの神経質で、自分の歯ブラシを貸すなど言語道断でしたが、同時に「彼だって他人の歯ブラシで歯を磨いても平気なのだろうか…」と思いました。あとで捨てちゃうつもろ貸してやりました。

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さて、どのようにスタートしたのかは記憶にありませんが、大学側の人間の号令でもあったのでしょう。初めのうちは、元気な人たちが一塊りになって競歩というか小走りで僕の視界から消えていきました。僕の周りには僕同様にあまりやる気のない20人ぐらいがノロノロと歩いていました。一睡もしなかったので眠かった。僕は眠いのを抑えながら歩きました。

競歩大会には僕と同じ「平和荘アパート」に住む、布団蒸しのHと、人の良い他の4人が一緒に参加していましたが、彼らは多分、スタート時の元気のいいグループに入っていたのでしょう。姿は見えませんでした。僕は運動が苦手でしたが、ただ、夜通し歩くことへの好奇心で歩きました。

トボトボと歩いていると、同じように義務感で歩く数人の同窓生たちも、トボトボと歩きます。真夜中にろくな照明もない真っ暗な山路をひとりで歩くのは怖いですが、幸い僕と同じくらいのスピードで歩く彼らが近くにいるので安心して歩けました。みな運動靴を履いているので、山路にはサッサッサっという足音が反響します。

見上げると、赤城山の鬱蒼とした樹木の影が夜空に浮かびます。この日は晴れていましたから星がきれいに見えました。「天の川はどこだ?」などとのんびりと夜空を見上げながら歩きました。何時間も歩いていると麓の街らしい風景が見えてきます。同時に夜もしらじらと明けて明るくなってきました。しばらく歩いていると、山路から平坦な県道に変わっていました。夜が明けました。道標を見ると前橋市の郊外でした。しかし、大学のある伊勢崎市までは、かなりの距離があります。伊勢崎市と言っても、大学は利根川河畔にありますから、埼玉県本庄市に近いのです。

それからどのくらい歩いたでしょうか? 後方からマイクロバスがやって来て。僕の横に止まりました。マイクロバスから顔を出した男性(大学職員でした)は大きな声で「はいはい、ここで終わりだよ。バスに乗って」
「はあ、まだ歩けますけど」(本心は助かったと思っていました。歩くのはしんどいですよ)
「悪いね、君はだいぶ遅れているから、大会委員会として、大学まで連れ帰らなければならないんだよ」
「わかりました」
バスに乗ると車内には僕より後方にいた5人くらいが乗っていました。空いている席に座って、ため息をつきました。それからしばらくバスは遅れた参加者を拾って大学に向かいました。

「あの…」と、先ほど僕を乗せてくれた大学職員に声をかけました。

「どうしたんですか?」

「途中でバスからおろしていただいてもいいですか?」

「いいですけど、どうかしましたか?」

「気分が悪いので、下宿の前でおろしていただければありがたいのですが…」

「わかりました。大学についても散会するだけですからね」

僕は下宿近くの交差点でバスからおろしてもらいました。そのまま下宿の自分の部屋に転がり込むと、ドアに鍵を閉めて、そのまま翌日のお昼まで寝ちゃいました。気分が悪くなったのではなくて疲れちゃったのですね。

その後、大学を中退して結婚してから恩田陸さん原作の「夜のピクニック」って映画を観ました。2004年のことです。原作未読で映画を観たのですが、驚きました。夜歩く高校行事の映画だったんですね。「夜のピクニック」というのは、恩田さんの母校(水戸の高校)で行われていた夜間80キロを歩く「歩く会」というイベントのことなんですね。

僕の大学の夜間歩行イベントって、当時は「何で夜中に歩かなきゃならなの?」みたいに奇妙なイメージがあったのですが、北関東で行われる伝統行事のひとつなんですね、きっと。それにしても、北関東の高校って、今でも夜中にスタスタと歩いているでしょうかね? ま、好きなクラスメイトのネエチャンとドキドキしながら一緒に歩くというのは青春だよね。

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