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「スカンジナビア号」2014/3/23

2014年3月23日に投稿した僕のブログから…。

ウルトラマンAの「青春の星ふたりの星」の回で、沼津港に係留されていたフローティングホテル”スカンジナビア号”が出てきて驚いた。何度か書いているが、スカンジナビア号は僕たち夫婦の新婚旅行先なのである。

スカンジナビア号は1927年(昭和2年)にスウェーデンで建造(発注はノルウェー)されたステラ・ポラリス号(北極星の意)客船として使用されていたが、1940年にナチスのノルウェー侵略によってナチスに接収された。戦後にノルウェーに戻って修復後にクルーズ船として復帰した。SOLAS条約によって客船機能維持が難しくなり、コクドグループの伊豆箱根鉄道が買い取って、沼津でフローティングホテルとして1970年から営業を開始した。

僕たちが新婚旅行で利用したのは1993年のことで、まだ営業を継続していたが、その6年後の1999年にホテルとしての営業を終了して、船上レストランとしての営業のみとなったが、2005年にはレストラン営業も終了し、母国スウェーデンへの売却が決まり、海上を曳航されていくことになった。

しかし、和歌山沖付近で徐々に浸水が始まり、ついに和歌山県潮岬沖約3kmの海底72mに沈没してしまった。日本に36年係留され活躍した後、再び建造国のスウェーデンへ戻ることなく太平洋の海底で79年の船史を終えることとなった。36年間の係留で船体が傷んでいたのが要因と考えられている。


海洋クルーズ運航事業を行うランティー社との売買交渉が不成立となったあと、ペトロ・ファースト社(スウェーデン)へ売却が決まった。2006年8月31日、伊豆箱根鉄道社長や沼津市長らが参加して出航式が行われ、曳航される形で沼津を出航した。この後、9月7日上海に寄港し改修ののち、スウェーデンで再びホテル兼レストランとして営業する予定だったが、曳航中の9月1日21時頃に船体が左傾しはじめ、同23時30分頃に状態確認のため串本町潮岬西側の入江に退避した。しかし傾斜はおさまらず徐々に浸水し、船体が沈み始めた。2日午前1時30分頃に再び沖合に向かったが、傾斜および浸水の状況が改善することなく同午前2時頃、和歌山県潮岬沖約3kmの海底72mに沈没した。船内には木製のレリーフや美しいガラス彫刻などの美術品も残っていたが、それらも船と運命を共にしてしまった。西武鉄道グループの事業再編に端を発したスカンジナビア売却は、第二の活躍の地であった日本に36年係留された後、再び建造国のスウェーデンへ戻ることなく太平洋の海底で79年の船史を終えることとなった。

Wikipedia「スカンジナビア号」から



僕たちは1度しか宿泊しなかったが(新婚旅行だからねw)、好天に恵まれた冬の爽やかな早朝の空気に包まれながらスカンジナビア号の甲板から見えた富士山の素晴らしさは、永遠に忘れることはないだろう。

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