皇女和宮
山川菊栄さんの「覚書 幕末の水戸藩」に、こんな話がある。
明治42、3年頃、山川さんと一緒に女学校を卒業した友だちが結婚し、その新婚の家に来てほしいと誘われたので訪ねてみると、そこは芝増上寺の境内の中だった。彼女の夫の伯父さんが増上寺の住職をしていたのだった。
増上寺俯瞰図(増上寺の和宮さんのお墓もある「徳川将軍墓所」で、墓参りすると写真ハガキと一緒にいただけます。有料です)
友だちは境内の奥にある菊花の紋章を染めだした白い幕で囲われた一角を指さして「この中に和宮さまのお位牌があるの。私が水や花をあげるのよ」と言った。それで急に和宮がその頃の自分たちと同じ年頃の若い娘であり、人間なのだったと意識したのだそうだ。
しかし、山川さんが、その友だちと会ったのはそれが最後で、友だちはそれから2、3週間後に急死してしまった。友だちは妊娠していたそうだ。その後、山川さんは、和宮の名を聞くと、友だちの短い一生と、可愛い笑顔に結びついて思い出されたそうだ。