山岡鉄舟 1
歴史小説からは、登場人物たちの体型をイメージすることは難しい。
明治天皇は、身長170センチ以上、体重は90キロであったらしい。山岡鉄舟は188センチ、105キロ。西郷隆盛は178センチ、100キロ。桐野利秋は177センチだったという。大柄なイメージの坂本龍馬は170センチほどで体重は80キロちょっとであったという。ちなみに僕は170センチで81キロだから龍馬とほとんど同じ体型ということになる。龍馬は太っていたのだ。
山岡鉄舟は「明治天皇と相撲を取って投げ飛ばした」という話がある。それは、前述したそれぞれの体格から「体力の差」をイメージできれば、よりリアル感が増してくるが、事実は違うようだ。
明治5年(1872)、山岡鉄舟は明治天皇の侍従となった。当時の天皇は若さゆえの振る舞いが乱暴だった。鉄舟は、それを不敬に当たらぬほどに諫めようと考えていた。
そんなある日、天皇は鉄舟に「お前は撃剣をやるが、相撲も得意だろう?朕と立ちあえ」と言った。「相撲はわきまえておりませぬ」と言って断ると、天皇はいきなり鉄舟めがけてぶつかってきた。鉄舟が身を引くと天皇はつんのめってしまった。
近侍の者たちが慌てて「山岡、不敬であるぞ」と騒ぎになった。
「この山岡、不敬は承知である」と一同を睨み付けてから「ただいままでの(天皇の)御行跡が改まり遊ばせねば、鉄太郎、今日限り出仕いたしませぬ」と言って退出してしまった。
鉄舟が帰宅して謹慎していると、翌日、岩倉具視がやって来て「以後、相撲と酒はやめるからこれまで通りに出仕せよ」と天皇からの伝言を伝えた。
鉄舟は感動して泣いたという。
これもいささか創作っぽい話ではある。
*参照「勝海舟の罠 水野靖夫(靖の漢字が違います。正しくは立偏に靑です)」(毎日ワンズ刊)
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