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戦争の醜悪さ

戦争は「歪んだ正義」という身勝手な論理で行なう人殺しです。戦争を知らない僕は戦場で何が行なわれるかを表面上だけ描いた映画でしか知りません。その発端、要因を知らず、突然としてスクリーン上で始まっている戦争を手に汗握るアクション映画として捉えて観てしまいます。たとえ反戦を訴える映画だとしても、そこに現実的な戦争の悲惨さは、ほんの僅かしかありません。

ただし、被爆者である原民喜さん「夏の花」や大田洋子さん「屍の街」のような経験者が書かれた小説や、中沢啓治さんの「はだしのゲン」や、谷川一彦さんの「星はみている」(未読)のような漫画は、戦争(原爆投下)の悲惨さを現実的に伝えてくれます。また、関川秀雄さんの映画「ひろしま」は、僕は部分的にしか観ていませんが、反戦、反核をリアルに描いた作品であると思います。

随分前に買った岩波ジュニア新書(537)『私は「蟻の兵隊」だった』奥村和一、酒井誠著には、以下のような戦争の悲惨さ(日本軍が中国で行なった蛮行)が描かれています。少し抜粋してみますので、戦争とは人間の本能を曝け出す場所であることがよくわかると思います。昭和19年に徴兵され、中国・山西省に出兵した奥村和一さんへのインタビュー記録です。今後、機会があれば、是非、読んでみて下さい。

「私は“蟻の兵隊”だった」(抜粋)
われわれが連れていかれたのは、寧武にある処刑場です。 荒れ地で、城壁の角地でした。そこへ、綿入れの便衣(べんい)を着た中国人五十数人がじゅずつなぎに連行されてきました。 そこでは、すでに数人の将校によって「試し斬り」 がおこなわれていました。 手をしばられた中国人の首を刀でバサッと斬っているのです。ところが下手な将校は、刀の扱いがうまくできずに頸動脈を切ってしまうものだから、血が噴き出している。あわてて刀を何回も振り下ろしています。一回で首を切りおとせなかったのです。むしろ下士官のほうがうまくて、片手にもったサーベルをパッと振り下ろすと、首がごろっと落ちる。私は仰天しました。いままでこんな恐ろしい場面を見たことがなかったからです。 つぎからつぎへとくりひろげられる凄惨な光景に、体はふるえ、こわばって目も開けられない状態でした。

そうして、こんどは私たちに「肝試し」が命じられました。 正確にはこれを「刺突訓練(しとつくんれん)」と呼んでいました。 銃剣で、 後ろ手にしばられ立たされている中国人を突き刺すのです。 目隠しもされていない彼らは、目を開いてこちらをにらみつけているので、こわくてこわくてたまらない。しかし、「かかれっ」と上官の声がかかるのです。 私は目が開けられず、目をつむったままたまらない。当てずっぽうに刺すものだから、どこを刺しているのかわかりません。 そばで見ている古年兵にどやされ、「突け、抜け」「突け、抜け」と掛け声をかけられる。 どのくらい、蜂の巣のように刺したかわかりません。しまいに、心臓にスパッと入った。そうしたら「よーし」と言われて、「合格」になったのです。こうして、私は「人間を一個の物体として処理する」 殺人者に仕立て上げられたのでした。
終わったあと、しばらくは放心状態だったのですが、正気にもどると「ああ、おれもとうとう人を殺してしまった。おれも人を殺せるんだ」と思いました。心臓にスパッと入ると、人間はこんなに簡単に死ぬものだったのかという「実感」、そして人を殺したという「達成感」によって、それが「喜び」に変わっていったのです。とうとう自分も一人前の兵隊になったのだ、「合格」したのだ、という喜びなのです。

ほんとうは、そこに「人間の心」があれば、また、平常のときであれば、そんなことはできるはずもありません。しかし軍隊というところは、いっさいの理性を剥奪してしまうのです。盗った人間よりも盗られた人間が悪いというような教育です。 奪われるほうが悪いんだという身勝手な「論理」です。奪った人間が悪いとはいわない。強姦すれば、強姦されたほうが悪い。それは軍隊の一つの論理なのです。

途中略

山間の集落を急襲したとき、私は、そこの村を見下ろす稜線で軽機関銃手として警戒にあたっていました。前方四〇〇メートルの対面する山肌を灌木(低木)から灌木へと山肌を匍匐(ほふく)して逃げている人びとの影を発見し、私はとっさに機銃掃射を浴びせました。しかし、匍匐していたと見えたのは、転んでは起き上がり、転んでは起き上がりながら必死に退避しようとしていた纏足のおばあちゃんたちだったのです。中国では昔、子供のころに足が大きくならないよう長い布きれで親指以外の指を足裏に折りこむようしばっていましたが、おばあちゃんたちは、この纏足だったので、なかなか歩けなかったのです。これに私は機銃掃射を浴びせてしまったのです。

日本軍が急襲することは、稜線から稜線へと烽火によって伝えられ、到着したときには村は無人と化していることが多くありました。 そうして村は略奪行為にさらされ、日本軍は「戦果をあげる」ことになります。家畜、家禽はもちろんのこと、金品もねらわれ、古年兵にうばわれた金品は、性のはけ口となる「慰安所」でのお金に替えられていきました。

岩波ジュニア新書 私は「蟻の兵隊」だった 奥村和一・酒井誠著より


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