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災害の多様性「格差から生まれる心的災害」


「危機管理能力の低さが想定外を生む」

大谷翔平さんが会見を開き以下のように語りました。

僕自身は何かに賭けたりとか、誰かに代わってスポーツイベントにかけたりとか、それをまた頼んだり、ということはないですし、僕の口座からブックメーカーに対して、誰かに送金を依頼したことももちろん全くありません。
本当に数日前まで彼がそういうふうなことをしていたっていうのも全く知りませんでした。結論から言うと、彼が僕の口座からお金を盗んで、なおかつみんな僕の周りもそうですね、みんなに嘘ついていたっていうのが、結論を言うとそういうことになります。

東京新聞3月26日付け上記リンク記事より転載

大谷翔平さんは僕が想像できないくらいの「お金持ち」ですから、日本野球の成金レベルの人たちとは全然レベルが違うのですね。まさに天と地の差があります。前回記事でそんな日本野球の人たちと一緒にして申し訳なく思っています。

約7億なんて大金が詐欺られても経済的軽症に過ぎないかもしれません。自分に背番号を譲ってくれた同球団選手の奧さんに推定2000万円の車を贈ったり、日本の小学校に6万個のグローブを贈る(推定18億円)とかさ・・・とにかくレベルが違うのです。類い希に運が良く、天賦の才能に恵まれた人なのです。

しかし、それが時には“精神的な災害”を起してしまうのです。今回の“犯人”である通訳の水原一平さんが話した言葉に以下のようなモノがありました。借金してまでギャンブルにのめり込んだ要因です。

「彼のライフスタイルについていかなければならなかった。でも同時に、このことは彼には言いたくなかった」

天賦の才能と幸運に恵まれた大谷の友だち・・・と思いがちですが、水原氏の職業は通訳ですから、実際には大谷の下士(部下)であり小間使いであり、へたすりゃ奴隷なのです。もちろん収入も天地の差ほどに違う。そこで日々のつきあいのうちに自分と大谷の差がイヤになってきちゃうんです。同じほどのレベルに近づきたいと思えば、ギャンブルで一山当てようなんて気になるかもしれません。

そんな人にマネージャー的な役割を担当させる大谷さんの危機管理の甘さというか、自分よりレベルが下位の人の心を読めぬ(読まぬ、想定できぬ)のはどうかと思います。危機管理能力がないというか人が良いというか・・・。

「貧富の意識」

タランティーノの映画に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」という作品があります。これは、かつてはスターだったが、今や落ち目のテレビスター(レオナルド・ディカプリオ)と、そのスタントマン(ブラッド・ピット)が描かれるのですが、主なるテーマは、「映画監督のロマン・ポランスキーの妻シャロン・テートが、チャールズ・マンソン率いるカルト信者に虐殺された実際の事件」を、逆に「襲撃犯たちに反撃して殺した」という映画ファンにとっては「スカッとする内容」なのです。これには僕も快哉を叫ぶほどにヤラレました。スカッとしました。だって、シャロン・テートって美人ですからね。僕が中学生の時に学校をサボって映画館に出かけ「ポランスキーの吸血鬼」を観たんですが、吸血鬼に血を吸われちゃう役のシャロン・テートを観て、その美しさと演技の下手さに魅了されたのですよ(笑)。だから逆に襲撃犯たちが虐殺?されるのを観て喜んでしまったのですね。

しかし、もうひとつこの映画で描かれるのは「一世を風靡した大スターとスタントマンの友情(?)」なのですが、富裕なスターと貧乏なスタントマンってのは、そもそも生活レベルが違うのです。一方は人気が落ちたとは言え豪邸に住み、一方はアパートに住んでいる。富裕な方は「君は友だち」とは言いながらもスタントマンに雑用を命じたりする。スタントマンはそういうときに貧富というか精神的な余裕の差を感じてしまう。しかし、富裕な方には、スタントマンの気持ちはわからない。別にわからないでいいのです。彼は自分のことしか考えていないからです。スタントマンは自分の下僕なのだという意識があるのです。

「大谷翔平と水原一平」は、要するにスターとスタントマンの関係と同じなのです。映画と違うのは水原の方は窃盗に走ってしまったことです。

出版社勤務時代、僕と同年の人間が社長を務めたり、年下の人間が上司だったりしました。僕は平社員で役職はありませんでしたが、彼らが気をつかって課長や部長でもなく「営業マネージャー」というよくわからない役職をあてがってくれました。当時の僕はその役職に誇りを感じることもありませんでした。あくまでも外部(営業先)への対面付けとしてそんな役職をつけたのでは?と考えていましたが、今思えば「課長クラス」なんですね。

個人的には編集長になりたいなんて思ったことがありましたが、その出版社では僕は「文章がヘタ」と決めつけられていて(本当にヘタだったのですがねw)編集長にさせようなんて意見は出ませんでした。しかし、それがかえって気楽で、自由気ままに仕事をしていました。

同い年の社長や年下の上司と一緒に働いて、役職が違えば収入が違うのは当然だと思っていましたから、そこに僻み妬みを感じることはありませんでした。業界誌ですから上司と部下と言っても、大谷と水原のようなレベルの違いはないのです。大した違いではありません。ただ、今考えると、(犯罪を犯しちゃいけませんが)水原の思いは理解できますね。

とにかく、収入や権利の違いはあっても、決して僻んだり妬んだりしてはいけないのです。人間はいずれ死ぬのですから、ものは考えようです。100歳まで生きようが、10歳で死んじゃおうが、寿命の差や運の差はあってもどうせ死んじゃうのです。たかが時間の差でしかないのです。永遠という時間を考えれば、人間ってのは、わりと平等なのです。

追記:NHKBSでロバート・レッドフォード主演の映画「ナチュラル」が放送されていました。天才野球選手が運命に翻弄されながらも復活していく作品です。良いタイミングで放送されましたね。

アメリカメジャーリーグの八百長およびギャンブル2大事件を以下にリンクを貼っておきます。


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